執筆者:イスラム建築マニア
2023年09月15日

夏は早起きして大好きなセミの声を聞きながら犬の散歩をする。
すると公園の中でもひときわ多くのセミが鳴いているエリアがあることに気付く。見渡すとけやきの木が多い。
ネットで調べてみると、クマゼミやアブラゼミはけやきの木(の樹液)が好きなようだ。ほかには桜の木も好むようだ。

そういえば、その公園には、毎年なぜかその木にだけ渋滞になるほどセミが多く集まる桜の木が1本ある。
実際にその桜の木に近づいて観察すると、その木の幹には樹液が見える。
なるほど、違いはこれか。

また、ある木の根元にはセミの幼虫の出てきた無数の穴がある。
この木はいったい何の木だ?
こうしていろいろ観察していると公園に植わっているすべての木の名前が知りたくなった。 

そうだ、樹木の図鑑を買おう!♫

久しぶりに書店の図鑑コーナーに行ってみた。
最近の図鑑は進化していて流行っているというのをよく聞くが、本当に何社も競って出している。
でも植物の図鑑、花の図鑑、恐竜の図鑑や妖怪の図鑑まであるのに、樹木の図鑑がない。
入口に戻って検索機で調べてみる。「樹木 図鑑」っと。
あった!でも場所は図鑑のコーナーではない。理工書のコーナーだ。
えっ?

難しそうな専門書が並ぶ理工書コーナーに行くと、あった、あった樹木の図鑑。
近くには樹木の材質と用途が分かる図鑑や植物の匂いで薬効成分がわかる図鑑や森林学の本がある。なんだか大げさだな。ちょっと公園の木の名前が知りたいだけなのに。
とりあえずAmazonの口コミで評判のいいものを1冊買って帰った。

図鑑というと、昔、家にあった植物の図鑑は、まず春夏秋冬に分かれていて、公園や花壇に咲いているのか、野山に咲いているのかでさらに分かれていて、何となく探すものにたどりつける構造になっていた。
ところが、樹木の図鑑は、ただひたすら葉っぱの写真が並んでいるだけなのだ。
落葉樹か針葉樹か、分裂型(もみじなど)か不分裂か、ふちがぎざぎざかそうでないか。
たくさんのインデックスが付いているが、何百枚もの同じような葉っぱの写真の中から、知りたい葉っぱがどれに当たるのか見分けるのは難しすぎる。

思えば子どものころ家にあった植物や昆虫や動物の図鑑も、ちゃんと分類に沿って並んでいたのだろうが、子どもは学術的な分類など気にせず、ただ何度も図鑑を見て何ページに何が載っているか覚えてしまう。だから調べたいものがあるとどこを見ればいいか分かる。

そうか、図鑑とはそういうものなのかもしれない。
すべてを丸暗記とまではいかなくても、だいたいこのあたりに載っているとわかるくらいにまずなってしまうと格段に使い勝手がよくなる。
セミの幼虫が出てきた穴が多い木も、いきなり樹木の図鑑で調べられると思ったら大間違いだった。

まずはグーグルレンズやアプリで検索。
あたりをつけてから詳細を調べたり似たものを比較する段階で図鑑は役に立つ。

わかったことは、グーグルレンズやアプリだけでは調べにくいということ。
実際、その葉っぱをスマホで撮ってグーグルレンズで検索すると、ナツボダイジュ、フユボダイジュ、オオバボダイジュ、シナノキ、アメリカシナノキ、リンデン・・・と検索結果に似たものが続々出てきた。
どれだ?どんな違いがあるのだ?

あたりをつけて、ボダイジュとシナノキを樹木の図鑑で調べる。図鑑だとだいたい隣同士に似たものが載っていて見分け方が書いてある。
こうして、セミの幼虫の穴の多い木はシナノキであることが判明した。

(ただネットで調べる限り、シナノキにセミの幼虫が多いとの記述はないので、たまたまその公園ではシナノキのあたりに幼虫がたくさんいただけかもしれません。)

公園に植わっている木を図鑑に載っている葉っぱの写真だけで調べるのはかなり難しい。子ども用の図鑑コーナーではなく、理工書にあるのもうなずける。
でも、むしろ子どもの方があっという間に図鑑に載っている全部の葉っぱを丸暗記して有効に使いそうな気もする。

樹木の図鑑はもっと子どもの目に付くところにあってもいいのでは?
というのはきっと余計なお世話で、今の子どもは興味を持てばどこに置こうと、スマホや書店の検索機であっという間に探し当てるだろう。

そして思う。
この図鑑を書店のどのコーナーに置くかというのも、図鑑の中身の並び順と同じく分類に関係する。
検索機で探すのは手っ取り早いけれど、たまに書店の中をぐるっと歩いてみて、どのあたりにどんな本があるのか、世の中にはどんな本が売られているのかをざっと見ておくのもいいなと思う。

というわけで、せっかく買った樹木の図鑑を使いこなせるように、まずは読み物として全部読んでみようと思っている。
例えばくすのきの葉っぱの写真の横には「なみうっている」と書かれている。これは読み物としても意外と面白そうだ。

はたして、子どものころのように、この葉っぱは〇ページって言えるようになるだろうか。