執筆者:気まぐれシェフ
2021年10月15日

正確には、待ち時間30秒と電車の中2分。待望の読書の時間である。
文庫本を片手に電車待ちの列に並び、すかさず本を開く。半ページも進まないうちに、地下鉄御堂筋線は空気を読まず間を置かずにやってくる。
やむなく一旦カバンに本を納めて乗車。最近はテレワーク人口が増えたのだろう、コロナ禍前のようなぎゅうぎゅうのすし詰め状態じゃないから、たいていは本を読むだけのスペースが取れる。ぐずぐずしている暇はない、もう発車だ。淀屋橋まで2分。急いで先ほどの続きから読み出す。
今読んでいるのは「華麗なる一族」。昔から何度も読み返している大好きな本だ。夏頃から読み始めてようやく中盤に入り、三代にわたる親子の確執が顕著になってきたところだ。これからいよいよ盤石と思われた万俵家がぼろぼろと音を立てて崩れ始める。

息をもつかせぬスピード感あるサスペンスものなんかは早く結末までたどり着きたくて一気に読み終えるのだが、この話の結末はもうわかっているからまず焦る必要はない。焦らなくていいのだが、それにしてもやたらめったら時間がかかる。
読書時は、登場人物の顔や声、話し方やしぐさ、とりまく風景を妄想というか想像する。極端にいえば彼らを少し遠くから覗いているような感覚だ。だから、些細な表現も逃さず注意をはらってじっくり読みたい派であるところ、これは登場人物がみんなひと癖どころか10癖くらいあるから心の動きを察するだけでも一苦労。そこに政治やら金融再編やら高度経済成長やらこの当時の時代背景やらいろいろ盛りだくさんで、とにかく難しくて濃い。
やっと1ページほど進んだところでもう淀屋橋に着いてしまった。今朝の出来高は1ページ半。帰りの電車が待ち遠しい。没頭しすぎて電車に揺られている感覚がない。たった数分の別世界へのトリップで出勤が全然しんどくなくなった。

雑誌ですら最近は電子版で済ませていたから、紙の本を読むのは何年ぶりだろう。
今年の夏久しぶりに携帯の料金プラン見直しをしたら4,000円も安くなり、データ使用量を最小で抑えればさらに2,000円安くなることがわかった。今との差額が毎月最大6,000円とすれば年間72,000円も無駄にしていたことになる。いったい何年間無駄に払い続けてきたのか。くらくらする。動悸もする。考えるのはよそう。

そこで、外出先では極力スマホを使わないことに決めた。毎月、最低料金を達成してみせる。
外出前に音楽やデータのダウンロードを済ませ、行先の地図を頭に叩き込み、天気予報も数時間先まで記憶する。外出先でチェックしないといけないネットニュースなんて私には無い。
ところがスマホ離れを実践してみると、ちょっとした待ち時間が手持ち無沙汰でどうにも間が持たない。スマホなんて存在すらしていなかったあの頃私はどう過ごしていたんだろう??と考えて思い出したのが、文庫本だった。
そうだ。必ずカバンには本が入っていて、時間が空けば本屋さんに通っていたじゃないか。かさばるから、荷物が増えるから、捨てるのが大変だからと、いつの頃からか紙の本はスマホに置き換わっていったのだ。

試しにいっちょ持ち歩いてみるかと選んだのが、容赦ない断捨離にも生き残ったこの本だった。
物心ついたときから絵本や図鑑をよれよれになるまでめくり倒し、小学校の図書室のほぼ全冊を読みきったかつての本大好き人間としては、慣れ親しんだ紙の本を手に取るとやっぱりしっくりきてしまう。電子版よりも断然読み易いのだ。スッと頭に入ってくるし本の中の世界をより鮮明に想像できる。気になるページに指を挟んで読み進めれば、すぐさまそこに戻れるのも現物ならではだ。つくづく古い人間なんだなあと思うけれど、今はこの幸せな楽しい時間を大事にしたいと思っている。

ちなみに、「華麗なる一族」は読み終えるのが惜しすぎて外出先でしか読まないことにしているから、1日に2ページも進まない日もある。でもこのノロさで読み進めても、いずれは悲しいかな読み終わってしまう。
本ロスにならないよう、次の本を探しに久しぶりに書店に足を運び、いろんな本をパラパラとめくっては懐かしいページの触感と本の匂いを存分に味わっている。
たった数分ですらイライラしていた待ち時間を、時間ができてラッキー、いや逆に短すぎるやんと思わせてくれるなんて、こんな幸せを見つけられたのだから、云十万円の無駄払いは損ではなかったのだ。

そう思いたい。