2023年07月01日

1 うどん派と蕎麦派で好みが分かれることがある(最近はラーメン派の方が強いかもしれないが)。確かに「東のそば、西のうどん」と聞く。最近のデータサイエンスの発達からか、うどん屋と蕎麦屋の件数を調べてその勢力図をマッピングしている方もいる。

一例として「にゃんこそ」さんの集計したものがある。

https://twitter.com/ShinagawaJP/status/1400787336665784321

データからも「東のそば、西のうどん」が裏付けられている。もちろん、東でも埼玉のソウルフード山田うどん、氷見うどん、吉田うどん、稲庭うどんなどもあるし、西でも兵庫の播州そば、出石そばなどがあるから、あくまで大まかな傾向でしかないけれども。

2 大阪もやはりうどん屋が優勢である。私の話になって恐縮だが、学生の頃に大阪にでてきたころ、大阪でうどん屋に入って衝撃を受けたことを覚えている。

まずは見た目で汁が透き通っている。愛知県の田舎にいたころは、東京ほど黒くはないが、醤油の色で黒みがかっているのが当たり前だった。何よりも衝撃だったのはダシが美味しかったこと。そのときカツオか昆布かという違いも理解していなかったが、ダシがとてつもなく美味しくて感動したのを覚えている。さすが食い倒れの街と感服した。しばらくそのうどん屋に通い詰めた。

3 とはいえ、東京で就職してからは、蕎麦屋の方が目について蕎麦派に洗脳されてしまった。我ながら節操がないが、その土地々々で好まれる食べ物がやはり美味しいのだろう。

このころには、蕎麦屋も、江戸前そばの御三家があるということはなんとなく耳に入っていた。「藪(やぶ)」、「更科(さらしな)」、「砂場(しなば)」らしい、と。東京・根津にルーツを持つのが「藪そば」、長野にルーツを持つのが「更科そば」。では「砂場そば」のルーツは?あまり深く考えずやはり東京なのだろうと思っていた。

しかし、実は大阪なのだそうだ。関東の人の言い方なのだろうが大阪生まれ江戸育ちと言われることもある。

これを知ったのは偶然だった。目的地を探すためにgoogleマップを開いたところ「ここに砂場ありき碑」という表示が目に入った。大阪メトロ長堀鶴見緑地線の西大橋駅の北側に新町南公園。この公園の南東の角に「ここに砂場ありき」と記された石碑がある。

公園で砂場とくると、子供が遊ぶ砂場がまっさきに頭に浮かぶが、このときは何故か東京の蕎麦屋を思い出した。わざわざ移動して石碑をみると裏側に「本邦 麺類店発祥の地 大阪築上史跡・新町砂場」と記されていた。「いずみや」「津の国屋」などの蕎麦屋があったが、大阪城築城のための資材として砂が置かれた場所一体が砂場と呼ばれていたことが由来らしい。些細なことだったが、この偶然の発見のお陰でしばらく幸せな気持ちに浸ることができた。大阪の歴史は深い。

4 ちなみに、「日本三大そば」となると「わんこそば」(岩手)、「戸隠そば」(長野)、「出雲そば」(島根)らしい。蕎麦が好きだと言いながら、三大蕎麦もまだ食べることができていないが、いつか必ず訪問したい。