2023年11月01日

先日、とある会でChatGPT活用法の講演を聴いてきました。

身近な例で私が理解できた限りでいうと、ChatGPTに適切な指示を出せば、趣旨に沿った文章を書いてくれるのが一つの活用法とのこと。例えば、仕事上のミスについて取引先に謝罪する文章などです。

メール一つとってもそうですが、ビジネスで文書を起案しなければならない場面は常にあり、趣旨目的に適う文章を書くのは時間も労力も結構かかります。

これまでもネット上タダで提供されている例文やひな型を検索して、そのうえで自分なりに手を多少加えるということは誰しも経験があるでしょう。そこから、さらに進んでChatGPTを利用し、適切な指示が出せれば、「使える」文章が瞬時で出来上がり、あとは少し見直すだけでよいということになります。仕事の効率は上がり、負担も軽減されます。報告書や議事録のようなものも作ってくれるようです。

ビジネスは経済合理性や効率が追及される世界なので、むしろChatGPTはどんどん活用すべきということになるでしょう。著作権や機密保持上の難しい問題はあるとしても。

しかし、誰が作っても同じ文章ができあがるのは面白みがないように思います。もちろん使い方の巧拙によって文章の上手い下手は出てくるでしょうけれども、そこに個性や人間性が反映されることはないといってよいと思います。

いろんな会合で、開会の挨拶やスピーチを聞くことがありますが、ひな型通りのとおり一片の挨拶をする人がいます。もちろん失礼・失敗があってはいけない場面も多いのですが、その人の思いや個性が全く反映されていないのは、あまり面白くありません。

ChatGPTならスピーチの原稿作成もお手の物で、気配りや感謝の気持ちもきっと上手い具合に入れてくれるでしょう。でも、やっぱり話者その人でないと話せない想いや経験に裏打ちされた言葉でないと、聞いている方は何の感情も呼び起こされないような気がします。

ChatGPTはあくまでたたき台を作るという点で負担軽減になることにメリットがあり、そこに人間が手を加えていけばよいという考え方があります。現にそのメリットは大きいのでしょう。

しかし、人間がAIを超えるのはある意味難しい。ChatGPT以上に人間がいい文章に仕上げるのは難しいのではないでしょうか。

話は違いますが、皆さん、ごく簡単な漢字が手書きできなくて困ったことはありませんか。漢字を手で書くことがなくなり、書けなくなってしまっています。使わない能力は衰えることを実感する場面です。文章の起案をChatGPTに任せてしまって、自分で一から考えることをしなくなれば、果たして言語で物事を考えることができるのでしょうか。

弁護士の仕事もまたAIによって代替される部分もきっとあるでしょうし、今後ますます増えてくるのかもしれません。

膨大な法令や過去の判例を全てAIに読み込ませ、具体的事案を入力すれば、案外簡単に結論が出るのではないでしょうか。人間よりもAIの方が得意かもしれません。

しかし、私は人間から相談される弁護士であり続けたいと考えています。基礎的な法律知識を備え、法律や判例のバックグラウンドに思いをいたし、絶えず自身の正義感や倫理観を養いつつ、健全な判断ができるよう研鑽を積み続けていきたい。

そして、何より、自分自身がそうであるように人間は弱い存在であることを知り、人間の変えられない過去や弱さと法規範との折り合いをつけて、今生きる、その人を少しでも救える弁護士であり続けたいと思って日々仕事をしています。

依頼者の話をよく聞いて、法律や判例をよく理解したうえで、私なりに考え、悩み、話す、そうして「嶋津さんに相談してよかったわ」、「頼んでよかったわ」と思っていただきたいと考えています。

データによって人間の将来が左右される世界は今後どのようになるのか誰にも分かりません。

データ、AIを使いこなす難題がひとりひとりの人間に課せられています。ますます人間性が尊重される時代だと思います。人間性とは人格的に優れているとかではなく、生身の人間のことをよく理解しようとする態度だと思っています。私自身は限られた能力、エネルギーを、目の前の依頼者のために注力していきたいと思っています。