今一度伝えたい内部通報制度の勘所 -本連載終了に当たって

 梅本 弘

2014年04月15日

<ポイント>
◆内部通報制度の意義は、全社員が不正行為に目を光らせる監視役となること
◆経営トップの「鶴の一声」で、内部通報制度の意義と取り組む意気込みを伝える
◆通報者の安心感、不利益からの保護を万全にしないと内部通報制度は死ぬ

「ビジネス法務最前線 内部通報制度特集号」として、42回にわたって連載してきた本メールマガジンは本号をもって一応終了させていただきます。
当初、全24回、半年程度の連載を想定していましたが、各方面からの励ましやご質問・ご意見も踏まえて、内容が実務的、具体的なものに深化したため、この分量に膨らみました。
それに伴い、執筆者も企業や団体のコンプライアンス現場からより多くの知識を得る努力を重ねてきました。
そこで学んだことの一つは、コンプライアンスの実践は必ずしも法律論ではないということです。一方で経営姿勢そのものであり、他方で実務的、具体的、技術的なものです。
そのような観点から、今とくに思いを深くしていることがらをいくつか記しておきたいと思います。

唐突ですが、通勤電車の中で車掌が車内放送で乗客に次のように呼びかけているのを聞かれたことがあると思います。
「車内でもし不審物を発見されたときはすぐに車掌までお知らせください。」
内部通報制度はまさにこれと同じです。全社員に向かって、「もしあなたの職場や身辺で不審な状況を発見したときは、すぐに上司や内部通報窓口に連絡してください。」と呼びかけているのです。
なぜそれがコンプライアンス経営に役立つか。
会社にはいろんな階層の管理職や内部監査部門、また取締役や監査役、会計監査人など、経営や日常業務の監視、監督を任務とする人たちがたくさんいます。しかし、大勢の社員が働き、大きな組織で動いている経営の隅々まで、このような人たちだけで監視しきれるものではありません。
電車の例で言うと、いくら車掌が車内の見回りや監視を怠りなく行っても、長い連結車両のどこかにひそかに置かれている不審物まで見逃さないというのは不可能なことです。
そこで、電車内であれ、会社内であれ、そこに不審物や不穏な状況がないかどうかを全員で監視する。みんなでやればそれが見逃される可能性は限りなく小さくなります。
これは言わば一つのシステムですから、これ自体、会社法用語である「内部統制システム」の一環なのです。
もし、電車内で不審物を見つけたのにその人が黙っていたとしましょう。万が一それが爆発すればその人自身も当然被害者になります。
会社の不正行為の場合も同じです。わかっている社員がいるのに黙っておれば、経営幹部もそれに気づかず、発覚したときは取り返しがつかない企業不祥事に発展し、ついには会社倒産ということにもなりかねません。現実にもあったことは周知のところです。そうなると、はじめにわかっていて黙っていた人も当然職場を失うことになります。

次に、内部通報制度がその機能を発揮できるかどうかの最大のキーワードは「経営トップの鶴の一声」です。「全員が監査役(監視役)になれ、なってくれ」と叫ぶことです。
なぜそれが必要か。社員は誰しも進んで「監査役」、「監視役」になどなりたくないのです。もし、同僚が会社の金銭を着服しているのを知っても、そのことを上司や内部通報窓口に通報することは愉快なことではありません。勇気もいります。できれば「見て見ぬふり」をしたいというのが人情です。
また、最近の若手社員には「出る杭は打たれる」とか「よけいなことを言って失点を食らいたくない」という警戒感、消極的姿勢がむしろ増加していると聞きます。
しかし、「それではダメだ。企業不祥事を起こさないいい会社にするためには皆が「監視役」を引き受け、通報者になる勇気を持ってもらわないといけない」という経営トップの訴えがあれば、社員は鼓舞され、使命感を抱くようになるはずです。

次に重要なのは、通報者となる一般社員の「安心感」です。
内部通報をしても、自分が通報者だということが同僚たちにめったなことではわからない。万一わかったとしても、逆恨みされたり、村八分にあったり、上司から嫌がらせを受けたり、通報した方が会社から不本意な転勤を命じられたり、そのようなことには絶対ならないという安心感です。
この安心感を確実なものにし、積み重ねていくことはきわめて困難であるのと裏腹に、もしそれを裏切るような些細なことでも発生すると一度に崩れ去るという危険をはらんでいます。いったん安心感が崩れるとその社員は、またその職場は二度と内部通報をしないことになります。
対策としては、管理職や経営幹部の教育、啓蒙に注力することとともに、ここでも経営トップの「鶴の一声」が必要になります。「内部通報を行った社員に対し嫌がらせやいかなる不利益処分も行ってはならない。もしそのようなことをすればその者を咎める」と。