執筆者:気まぐれシェフ
2026年02月15日

動かない足、迫りくる地面、強い衝撃と鋭い痛み、遠くから私を呼ぶ声。
ほんの数秒の出来事だがその時の状況は今もはっきりと記憶に残っている。地面にバッタリうつ伏せたまま泣き叫ぶ私に、両親が駆け寄ってきた。その後ろには兄もいた。
私4歳。家族でお出かけの日。みんな綺麗な恰好をしていよいよ出かけよう、というときだった。
両親は車に荷物を詰め込んでいて、兄と私は玄関で靴を履いていた。「ああ遅い!もう置いていくー!」と私を置き去りにして兄が飛び出していったものだから、私は大いに慌てた。「イヤー待って!」と靴を履きかけたまま後を追い、玄関先に並ぶ飛び石にけつまづいたのだ。飛び石は地面から1センチほど高さのある黒い硬い石で、そのフチは鋭利鋭角、シャープな切り口だった。まだ幼く柔らかい肉はスパッと切り裂かれスネからはとんでもない量の血が噴き出した。顎もしこたま打ったようで口の中からも血が溢れ出た。
楽しくなるはずだったお出かけの先は、悲しいかな病院へと変わった。スネはぱっくりと縦に切れていて6針くらい縫われたと思う。
何でコケちゃったの!という母親に、指を差してアヤツが急かしたからだと責任転嫁し、何もしていない兄がこっぴどく叱られていた。いい気味である。重傷を負いながらもここで日頃の恨みをまとめて晴らす私。我ながら冷静であくどい。

私はよくコケる子だった。なぜコケるかというと走るからだ。なぜ走るかというと兄や近所の男の子たちのあとをいつも追っていたからだ。彼らについていくには走るしかなかった。足手まといで連れて行きたくない!と面倒くさがる彼らに置いていかれてはなるまいと必死で走った。結果、転んでは怪我、治っては怪我、治っていなくとも怪我の毎日。肘も膝小僧も常時大きな絆創膏か包帯が巻かれていた。
小学校に入ると同学年の子たちと遊ぶことが多くなりコケる頻度は減ったものの、代わりに自転車事故が多発した。完全なる自損事故である。
みんなで両手離しの練習をしては側溝に突っ込み、ライダーに憧れて町内の下り(くだり)ヘアピンカーブを果敢に攻めてはコースアウトしてブロック塀に腕や足を激突させ体中に擦り傷を作った。ブロック塀の上を誰が一番早く歩けるか競争し、藪の中を探検し、溝のザリガニをさらい、家に帰ると傷の中に入り込んだ砂をオキシドールで洗い流して赤チンを塗る作業にいそしんだ。
あの抑えきれないパワーは何だったのだろう。

いつまでも自転車を爆走させ生傷の耐えない娘に不安を覚える両親からは、傷が消えなくなるよ、膝小僧が傷だらけの女の人なんて恥ずかしいよ!と何度となく諭された。なんで男は傷があってもいいのに女はダメなんだ!諭されるたびに不満がつのる。
ああ、そうだ。私は「女の子だから」が嫌でたまらなかった。
女の子だから走ってはいけません、女の子だから顔や体に傷があってはいけません。女の子だからお母さんの手伝いをしなくてはいけません。女の子だからニコニコしていなければいけません。男の子は手伝いなんてしなくてよろしい、元気があればそれでよろしい。
自由な男の子と違って女の子は制約まみれで息苦しかった。兄がやれば褒められることを私がやってみせると叱られる。なぜだなぜだ。そんなのいったい誰が決めたんだ。

私は私。お人形遊びもお絵描きもひらひらの付いた可愛い服も大好きだけど、走って飛び降りるのだって大好きなんだ。ケンカだって男の子に負けたりしない。こんなに我慢だらけなら男に生まれたかった。なんでお母さんは男に産んでくれなかったんだろう。
抑えきれないパワーは、意味不明な理由でおとなしくさせようとするオトナへの精一杯の怒りと抗議だったのかもしれない。

男は強く女はたおやかに。性別の持つ特性だからそれで良いと思う。だけどそうじゃなくても構わないはず。性別は制約になってはいけないのだ。
世界は男性を標準に設計されてきたけれど、今ようやくその標準が自由な方向に変化してきている。好きなことを自由に当たり前にできる世界がもっともっと広がって、私のような怒りのランボーならぬ怒りの傷跡まみれ娘が減りますように。生まれ変わったら男でも女でも楽しそう!どっちでもいいよ!と思える世界になりますように。

スネに傷どころか腰に爆弾を抱えるような歳になった今も、6針の傷は褪せることなく残っている。お風呂でこの傷を眺めるたび、たったひとり小さな体で理不尽な世界に立ち向かっていた女の子のことをほほえましく誇らしく思う。