2024年06月01日

私は実は涙もろい。若いときからそうだったが、歳をとってより強くなった。悲しいとか、辛いときに泣くのではない。もちろんそういうときもなくはないが、その面での私の精神力は弱くない。人の話を聞いているとき、本を読んでいるとき、映画やドラマを観ているとき、歌や音楽を聴いているときなどに、突然胸が熱くなり、気がつけば目のあたりが緊張し、目尻から涙がこぼれ落ちている。言うなら「感動の涙」、「情動の涙」である。
感性、共感力が鋭敏であるということだろうから悪いことではないと思うが、人前ではやはり照れくさいし、恥ずかしい。ときには、周囲から違和感をもって見られ、精神状態がおかしいのではないかと思われはしないかと心配になる。
そこで、ヤバいとき、ウルルときそうなときは、人前で話すときその引き金になるような話題や語彙を避ける。また、歌を歌うとき、涙のきっかけになるような歌詞の歌は避け、周りが歌っていても声を合わさない。

私が大好きな歌であるのに、そのような理由で声に出して歌うことができない歌の一つが、高野辰之作詞、岡野禎一作曲の「故郷(ふるさと)」である。

 1 うさぎ追いし かの山
   こぶな釣りし かの川
   夢は今もめぐりて
   忘れがたき ふるさと
 2 如何にいます 父母
   つつがなしや 友がき
   雨に風につけても
   思い出ずる ふるさと
 3 志を果たして
   いつの日にか 帰らん
   山は青き ふるさと
   水は清き ふるさと

最大多数の日本人が知っている希有な「日本の歌」、昔の「唱歌」でもある。
実に優しく、実に温かい歌詞であり、メロディも同様。誰もが抱く「故郷(ふるさと)」への懐かしい思いをしんみりと詠んだ詩であり、それにふさわしい曲である。
作詞家の高野は長野県に、作曲家の岡野は鳥取県に実際の故郷があり、それぞれの現地に歌碑がある。それなりのストーリーもあるようだ。

しかし、この歌から想像されるのはそんな特定の場所、特定のストーリーではない。この歌は万人の「ふるさと」、「心のふるさと」を歌ったものだと思う。
文字どおりの「故郷(ふるさと)」を懐かしく思う気持と、自分が歩んできた過去を懐かしく顧みる気持は限りなく類似している。
長い人生でその都度眺めてきた景色、悲喜こもごもの感情などに追憶を馳せると、その先に「心のふるさと」が映し出されてきて、懐かしさに打ち震える。
そうであるからこそ、この歌が長年にわたり日本人万人の琴線に触れ続けてきたのだと思う。
幼少の頃、生徒の頃、学生の頃、どんな風景のもとで、遊び、学び、暮らしてきたかを追憶すると、この歌の歌詞と自分の過去の人生が随所で密着してくる。
よほどの都会の真ん中でないかぎり、周辺には山があり、川があった。山で遊び、水辺で遊んだ。父母への追憶は、今生存していてもいなくても、「どのように過ごしていますか」という言葉を思い出し、「ありがとうございました」という言葉につながる。慕ってきた恩師は父母と同じである。
懐かしさと感謝、それにいささかの後悔の念が彷彿としてくる。これだけでも涙もの。
「つつがなしや 友がき」。音信が遠のいている幼友達や学友への追憶は、思わず「元気にしているか」と心の中で叫びたくなる。
「志を果たして」、は古めかしい表現であるが、誰しもある年齢に達するとそれに近い心境に到達するものだ。立派なこと、大それたことをやり遂げたわけではない。これから果たせるわけでもない。やりたいと思ったことでできなかったことはいっぱいある。しかし、自分なりにやってきた。そしてとにかくここまでたどり着いた。
それなりのアイデンティティをもって、追憶のなかで幸せな原点に帰りたいと思う。それは脳裏を駆けめぐる昔の景色。山は青かった。水は美しかった。人びとはやさしく、素朴で、心和らぐ世界であった。ヴァーチャルリアリティでもよいからそこに帰りたいものだ。

いずれにしても、この「故郷(ふるさと)」の一言一句は、私にとって涙なしでは読むこともつぶやくことも歌うこともできないものとなった。
よって、私はこの大好きな歌を人前で歌うことはしたいがしない。ひとりで趣味のチェロでメロディを奏でることはあるが、閉じた目の目尻からわけもなく涙がこぼれてくる。

なお、この「故郷(ふるさと)」に涙するクセがついた私は、その後、美空ひばりの「津軽のふるさと」を聞いても同じ心境を味わうことになる。