2025年12月01日

毎年この季節になると年賀状の準備にとりかかる。そのとき、年初に受け取った年賀状の記録を確かめると、そこに「年賀状じまい」を宣言していた友人・知人があることに気が付く。
「本年をもって年賀状によるご挨拶を最後とさせていただきます。今後とも変わらぬお付き合いをお願い申し上げます」
などと書いてある。
多くの友人・知人が高齢者の域に達していることを考えると想定外のことではないが、「年賀状じまい」の一文にはやはり気持ちが暗くなる。
年に一度年賀状を交換するだけでも相手の日常や健康度がわかり何となく安堵感を覚える。相手が健在なのでほっとするだけではない。こちらもそれなりに元気であり、交流を楽しむ感性がまだ衰えていないことを自覚できる安堵感である。
しかし、「年賀状じまい」の宣言によって、その安堵感が永遠の別れの悲しさに置き換わる。
「年賀状じまい」の宣言はしなければいけないことだろうか。した方がいいことなのだろうか。
年賀状を書くにもエネルギーはいる。最近は葉書代や切手代も高くなっていて費用もかかる。お互いの交流も薄くなっているのであれば、年賀状の作成という煩わしさや義務感から解放されたいという気持ちもわからなくはない。
しかし、「年賀状じまい」の一通の葉書によって長年温めてきた友人との交流の終焉を決定させてしまうのはいかにも惜しいように思う。
以前より疎遠になっているとしても、もうしばらくは細い糸でつながっていたかったと思う。細い糸は太くなる余地があるが、切れた糸は再びつながることはまずない。
万が一何か連絡する必要が生じてもそもそもその友人の生存すらわからないというのでは悲しすぎる。その意味では、相手に対し「私は元気、私はまだ生きている」という通知のためだけでも意味はある。法律上の「消滅時効の中断」みたいなものだ。その通知はその相手だけの認識に留まらず、その周囲にも伝わるかもしれない。
いずれにしても、「年賀状じまい」の宣言によって別れの決断を急ぐことはない。できるだけ先に延ばした方がよい、と私は思っている。少なくとも私自身は、長い付き合いの友人・知人はもちろん、誰に対してもこちらから「年賀状じまい」を送ったことは一度もないし、送ろうとも思わない。疎遠が続き永遠の別れになってもよいと思う友人・知人には黙って年賀状を送らないだけのことである。
事情も含めて丁寧な「年賀状じまい」を送ったうえで以後の年賀状を止める方が礼儀正しく好ましいという意見もあるが、私はそうは思わない。「あなたとの交流を終えます」と宣言されていい気持ちになる人がどれだけいるだろうか。私としては、どうせ打ち切るのなら黙って消えてくれた方がよい。こちらもよけいなストレスや悲しみを感じないで済む。時間の経過とともに自然とその人のことを忘れ、あるいはこちらも年賀状を出さないようになるだけのことである。
もっとも、健康を害しているなどの理由で現実に年賀状を作成し送ることが困難になったような場合は、相手にそれを告げて「年賀状じまい」を通知したほうがよい。そうでないと、必ずもらえると期待している友人・知人は無用の心配をしなければならないことになる。
ところで、友人・知人から「年賀状じまい」の宣言を受けた側の対応はどうあるべきだろうか。
「それならばこちらも」と、以後の年賀状を送らないようにする、というのは如何なものか。
相手の「年賀状じまい」宣言は必ずしもこちらからの年賀状の受け取り拒否の意思表示ではないし、何か理由があって「年賀状じまい」を決意したが、こちらとの交流は引き続き期待しているかもしれない。また、何かの折に私のことを思い出してくれることがあるかもしれない。
そうであれば、こちらの年賀状を相手からの「年賀状じまい」と少なくとも同時に止めることは適切でない。
最近は、企業などで合理化のために組織ぐるみで「年賀状じまい」を宣言しているところも多くなったが、その中でも密な交流を続けてきた、また続けたいと思う知人はいる。
いずれにしても、私は「年賀状じまい」を受け取っても、すぐにこちらからの年賀状をやめることはしない。
このようなスタンスの私でも、今まで毎年送っていた友人・知人への年賀状をやめることはある。「年賀状じまい」通知を受け、それでもこちらは出し続けていたが、その後数年経っても相手から何の便りもなく、消息も途切れた場合。そういう友人・知人とはもうきっぱり別れるのが潮時である。こちらから一方通行の年賀状を送り続けることは相手の迷惑になるかもしれないし、受け取るだけでは申し訳ないという忸怩たる思いやストレスを相手に抱かせるかもしれない。
また、最近では、年賀状ではなくパソコンメールやラインなどの方法で年賀の挨拶を送ってくる友人・知人もある。その場合は、年賀状をやめて相手に合わせてデジタル手法の年賀に変えるか、もしくは、こちらは引き続き年賀葉書を継続するか、どちらかの方法をとる。
また、年賀状によらなくても、日頃頻繁に出会ったり、連絡し合ったりして交流している友人・知人には、今までは惰性や習慣で送ってきた年賀葉書を以後お互いに出さないようにしている
はて、来年の正月はどれくらいのうれしい年賀状と、どれくらいの悲しい「年賀状じまい」葉書が届くことだろう。