読書、というのは趣味や楽しみとして本を読むことを指しており、職務上の必要から文献を参照することを含みません。私自身の用語法としてこのように捉えています。
弁護士や裁判官が書いた論文などを参考文献として読むことはあくまで職務上のことであって、読書ではないということになります。
読書の対象として法律家の著作を読むことはほとんどないものの、時折、例外的なこともあるのでいくつか紹介してみます。
門口正人・中村直人ほか「訴訟の技能 会社訴訟・知財訴訟の現場から」(商事法務、2015年)
中村直人「訴訟の心得 円滑な進行のために」(中央経済社、2015年)
中村直人「弁護士になった『その先』のこと。」(商事法務、2020年)
中村直人シリーズ。同弁護士は企業法務の第一人者です。職務上の勉強のつもりで読みはじめたところ、思いのほか読み物としてもおもしろかった。訴訟遂行のあり方については、書面の枚数はすくなく、センテンスは短く、など目新しいことをいう内容ではないものの「やはり基本が大事」と改めて気づかされます。
スティールパートナーズ/ブルドックソース事件、大和銀行株主代表訴訟など著名な事案についての解説が興味深い。
専門的な事柄をやさしい文章で表現しているところも見習いたい。
同弁護士の近著としては「ガバナンスを語る」(商事法務、2025年)がある。
山浦善樹「お気の毒な弁護士 最高裁判所でも貫いたマチ弁のスキルとマインド」(弘文堂、2020年)
サブタイトルのとおり著者はマチ弁出身で最高裁判事を経験された方。マチ弁は「町医者的な弁護士」の意味で、企業法務など特定の専門領域に特化することなく市民的な案件を手がける弁護士のこと。最高裁判事を退官して弁護士登録する方の多くは大規模法律事務所の客員や顧問になるが、著者は退官後に再び個人事務所を開設してマチ弁に復帰した。
山浦弁護士にかぎらず、最高裁判事経験者の語るところから最高裁の審理実態をうかがい知ることができる。同書では山浦判事在任中の取扱案件数や1日の執務時間から、1つの案件の審理のために判事1名がどれだけの時間を充てているのかを計算している。
その結果、標準的な「持ち回り」審理の対象案件の審理時間は…なんと平均約24分。24分の審理を複数回繰り返すのではなく、24分×1回でおしまい。あくまで概算、平均値ではあるのだが。
最高裁判事としては、調査官のレポートを参照した後さらに記録を検討する時間はほとんどない、ということになるのでは?
運用上、弁護士が提出する不服申立理由書には要約書面をつけることになっているが、要約書面も時間を費やして最高裁判事に直接読んでもらうことには相当のハードルがある。また、読んでもらえないのは最高裁が悪いのではなく、弁護士側の実力の問題。弁護士としてはそう心得ておく必要がある。
倉田卓次「裁判官の書斎」(勁草書房、1985年)、「続 裁判官の書斎」(同、1990年)
著名な裁判官(その後弁護士)によるエッセイ集。続編がさらに何冊かあるはず。
「SFないない尽くし」、「民訴的野球談議」など話題は幅広いが、「本を読む場所」、「私の読書法」など本とのつき合い方がおもしろい。
著者はかなり幅広い分野にわたって読書をしていることが窺われるが、執務の合間に読書時間を確保するための方法として、「路上」つまり歩きながらの読書や、「厠上」つまりトイレでの読書などが紹介されている。トイレでの読書は多くの読書家が試みているであろうが、著者のように専用の読書台をトイレにとりつけるとなれば少数ではないか。
田中豊「最高裁破棄判決 失敗事例に学ぶ主張・立証、認定・判断」(ぎょうせい、2022年)
著者は元裁判官、現弁護士。最高裁破棄判決というのは、文字通り、高等裁判所の判決が最高裁で破棄されて覆った事例のこと。
最高裁の高いハードルを越えて逆転に至った事例であるから、たしかに我々弁護士はもっと意識的にこれを研究してみるべきように思う。また、基礎的あるいは初歩的ともいうべき間違いから結論が覆った事例も紹介されており、ここでもやはり基本が大事と改めて思い知らされる。
我妻栄「民法案内1 私法の道しるべ」(一粒社、1967年)
著者は民法学の権威。1973年に亡くなったが現在もなお厳然たる影響力をもつ。
「民法案内」は全10巻のいわゆる教科書で、現在は勁草書房から復刊(お弟子さんが補筆して全13巻になっている)。
20数年前に一粒社版を実家近くの古本屋で購入した。1冊50円だったか。安かったのでまとめて購入した。全10巻中どこか1冊が歯抜けになっている。
第1巻(私法の道しるべ)は読み物としての性格もあり、学友・岸信介との関係にも言及があったようにも思うが…何年も前に読んだきり、実家に置き去りなのではっきりしない。
次に実家に帰ったときにとりあえず第1巻だけでいいから発掘してこようと思っている。