2004年12月01日

私は香川県の琴平町、讃岐の金刀毘羅さんのふもとの生まれで、高校時代までそこで過ごした。当然、讃岐うどんは日常的食品であり、うどんに醤油と味の素をかけておやつ代わりに食べさせられたりもした。
大学に入って大阪に来てから、うどんの不味さに驚き、讃岐うどんに誇りを持つようになったが、たかがうどんであり、そう大げさに言うほどのことでもないと思っていた。
ところが、昨今は讃岐うどんブームである。有名うどん店は県外からのお客さんで長蛇の列であり、私は帰省したときにも有名店のうどんを食べようという気にならない。有名うどん店といっても、もともとは田んぼの中や山の中の古びた一軒屋で近所の人を相手に商売をしていたのが、県外からの観光客もつめかけるようになっただけであり、店のキャパシテイーは非常に小さい。はやっているのだから大型店に建替えればいいようなものであるが、そこは風情の問題もあって昔のままのたたずまいである。そうすると、観光バスでやってきた客は当然あふれだすことになり、店の前には長蛇の列ができるということになる。
子供のころから並んでまでうどんを食べたことはないし、他にもうどん屋は沢山あることから、そういう有名店をさけて地元の人しかいかない店に行くのである。実際には、そのような有名店と他の店でそれほど味が違うわけではないし、すいていて、それなりに美味しいので十分に満足できる。
讃岐うどんの店のシステムで一般的なのは、客がカウンターにうどん鉢を持って並び、順番が来るとうどん玉を注文し、自ら茹でて、ダシを注ぐというセルフスタイルのものであり、揚げ物などをトッピングできるところもある。この一連の作業の後、代金を支払って席について食べ始める。このうどんを自分で茹でるというスタイルがうけているようであり、大阪に進出した讃岐うどんのチェーン店もこのタイプの店が圧倒的に多いようである。
このような讃岐うどんブームができたのは、色々要因があろうとおもうが、村上春樹氏が書いたエッセイ集「辺境・近境」の中の「讃岐・超デイープうどん紀行」がきっかけの一つになっていることは間違いがない。村上氏の卓越した表現力により、讃岐うどんが特別な食べ物であり、讃岐の人間が特殊な嗜好を有しているかのように思え、エッセイの読者はその未知の土地へ行って、うどんを食してみたいと思ったのであろう。
ところで、そのエッセイの中で、ある店の客が店主に葱がないと言ったところ、店主は客に表に植えられている葱を取ってくるように言い返したという逸話が載っているが、これは私も聞いたことがある。ただ、村上氏の書かれている肯定的なトーンではなく、サービスの悪い偏屈者の店主というような否定的なトーンであったように思う。今では、葱を採って、きざんで、うどんを食べることを目的に客がおしかけている(そうである)。
たかがうどんではあるが、その安さと手軽さに加えて、誰がなんと言おうと讃岐うどんは美味しいことは間違いない。
その理由は、喫茶店の数より多いと言われる店の間での競争とその競争を支える香川県人のうどん消費量にあると思う。今でも法事等の行事の度にうどんが用意されているし、私が子供のときには小学校の運動会のバザーでもうどん店が出店されていた。
各家庭にはうどんを茹でるための器具がある。これは大阪の各家庭にたこ焼き器があるのと同様である。
たかがうどんであるが、興味のある方はうどん巡礼の旅にでてみてはいかがでしょうか。

なお、金刀毘羅さんでは「平成の大遷座祭」として、12月12日まで125年ぶりに奥書院(重要文化財)も一般公開されています。私も拝観しましたが、素晴らしいものですので、ぜひおいでください。