2008年01月01日

今年は当事務所が設立されて30周年の年を迎えることになる。1978年に梅本弘法律事務所設立後、梅本・片井法律事務所を経て、現在の栄光綜合法律事務所となったが、その間に30年が経過したということである。
ところで、私自身の30年前、20年前、10年前を思い返してみると、自分の人生の節目となった年であることに気づいた。そこで、設立された1978年から10年ごとに歴史を振り返ってみたい。

当事務所が設立された1978年(昭和53年)の4月に、私は無事に高校受験に成功して香川県立丸亀高校の1年生となった。ささやかながら人生最初の関門の突破であった。当時の日記を読み返してみると、ニューミュージックのレコードや小説の感想とともに弁護士になりたいという記述がでてくる。遠縁に司法試験に合格した人がいることを意識したのだろうが、この頃の弁護士のイメージとは無辜の人を救う正義の人という程度の認識だったように思う。後に再審による無罪判決がなされた「財田川事件」に興味を持ったことを憶えている。また、この年は、香川県出身の大平正芳総理大臣が「三角大福」と言われた総理候補の最後として、現福田総理大臣の父である福田赳夫の後を受けて誕生し、地元香川はおおいに沸いた。その他、記憶に残る出来事といえば、「空白の1日」を利用して江川卓投手がいったん阪神に入団した後、巨人の小林繁投手とトレードするという江川事件である。悲劇のヒーローとなった小林投手のその翌年の熱投に興奮した阪神ファンも多いと思う。

当事務所設立後10周年をむかえた1988年(昭和63年)の4月から私は第42期司法修習生となった。前年10月に司法試験を合格して法曹の一員となったのである。この年は当事務所が現在の栄光綜合法律事務所に名称を変えた記念の年である。瀬戸大橋が開通して四国が本州と陸続きになり、また、現在、普通に使われている「セクハラ」という言葉が使用され始めた年でもある。その年末から昭和天皇のご病状が悪化して、年末から翌年始にかけてなんとなく重苦しいような気もしたが、経済は好調の兆しが顕著になり、バブルへの道を走ることになる。東京で始まった不動産価格の急騰が近畿に波及し始めたという記憶がある。株価も上昇し始めて、未公開株の譲渡と贈収賄とが問題となったリクルート事件が起こった。

当事務所設立後20周年をむかえた1998年(平成10年)の4月には、私はカナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーでロースクール修士コースの2年生として卒業論文の作成に没頭していた。この年の12月に修士論文「マリーバ型仮処分と日本の仮処分について」を大学院に提出して、翌年5月に無事卒業をすることになる。当事務所は、この年まで弁護士4人体制を続けていたが、翌年から私の復帰と嶋津弁護士の加入により弁護士6人体制となって、その後も増強をはかることとなる。また、現在のビルに移る前の最後の年でもあった。言わば総合事務所として発展を始める前夜の年であった。この年のニュースと言えば、北米ではクリントン大統領の研修生に対するスキャンダルである。ホワイトハウスの中で大統領という優越的地位を利用して関係を迫ったとされるこの事件はマスコミに連日報告されて、調査委員会のレポートはベストセラーとなった。
雑駁な回顧であるが、こうしてみると偶然ながら私は当事務所開設後10年間で弁護士、社会人になる準備をし、次の10年で弁護士としての基礎を身につけ、その次の10年で自分のセールスポイントを育ててきたように思う。これからの次の10年で当事務所開設後40周年、その次の10年で50周年となる。それぞれ、飛躍の節目となる年として振り返れるようにしたいと思っている。