取締役の責任
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(2000/10/20)
1 取締役の基本的義務

【知らないではすまされない取締役の責任】
平成12年9月20日、大阪地方裁判所は大和銀行の現元取締役11名に対し、総額829億円の損害賠償を命じる判決を下しました。同銀行ニューヨーク支店で発生した巨額損失事件で同銀行が被った損害について、取締役としてその賠償を命じられたものです。
この問題は本ホームページの「法律トピックス」でも取り上げています。
会社の取締役というものが法律上これほど大きな責任を問われることがあるということは社会にかなりショックを与えたようです。
その途方もない賠償金額はさておき、取締役、つまり会社経営者というものは、会社経営にあたって法律に違反したり、取締役としての任務を怠ったりすると、法律上ときに重大な責任を負わされるということを知っておく必要があります。
みずから違法行為を積極的に行った場合だけに限りません。代表取締役社長が行った行為であっても、それを監視・監督すべき平取締役がその任務を怠ったとして損害賠償を命じられることもあります。
会社の取締役は、大企業、中小企業を問わず、サラリーマンの出世のゴールでもありますが、漫然と社会的ステータスや高額の報酬に酔っていると大変なことになるのです。
取締役というものがそんな大きな責任を負わされることは知らなかった、ではすまされません。
そこで、今回から数回にわたって、「取締役の責任」について解説します。
取締役の責任は、民事責任(損害賠償責任)、刑事責任、行政上の責任など多岐にわたりますが、今回はおもに「会社に対する損害賠償責任」を取り上げます。
上記大和銀行事件で問題にされた取締役の責任もこの類型に属するものです。
これは本来会社がその取締役に請求すべきものですが、多くの場合、会社に代わってその会社の株主が訴訟を起こします。これが「株主代表訴訟」といわれるものです。
原告は株主ですが、賠償金は会社に対して支払うように命じられます。

【善管注意義務・忠実義務・監視義務】
まず、会社における取締役の基本的な立場、基本的な義務について述べます。
会社と取締役との関係は「委任関係」とされています(商法254条3項)。
「委任」においては、受任者である取締役は、委任を受けた趣旨に従い、「善良な管理者の注意をもってその任務にあたる義務」を負っています(民法644条)。この義務のことを略して「善管注意義務」と言います。
会社経営に関して通常必要と考えられる一般的、平均的な注意義務です。
自分の個人財産を管理する場合の注意より高度なものでなければならないとされています。
また、商法には、この善管注意義務のほかに、「法令、定款及び総会の決議を遵守し、会社のため忠実にその職務を遂行する義務」が規定されています(商法254条の3)。これを取締役の「忠実義務」と言います。
この二つの基本的義務は、その概念において別個のものではないという説もありますが、一応次のように理解しておいて下さい。
「善管注意義務」は、取締役がその職務に応じて必要な注意を尽くす義務、「忠実義務」は、取締役がその地位を利用し、会社の利益を犠牲にして自己または第三者の利益をはかってはならない義務、ということです。
取締役の第三の基本的義務、それは「他の取締役の職務執行に対する監視・監督義務」(商法260条1項)、略して「監視義務」です。
代表取締役であれ平取締役であれ、この「善管注意義務」、「忠実義務」、「監視義務」を基本にして、会社の業務を的確に把握し、取締役会の構成員として会社の適切な業務執行の決定に加わり、他の取締役の職務執行が適正に行われるよう監視、監督する、これが取締役としての職務なのです。

【代表取締役・役付取締役の義務】
社長、副社長、専務、常務等は代表取締役または役付取締役(または業務担当取締役)として、対外的、対内的な業務執行にあたります。
それ以外の取締役も通常「使用人兼務取締役」として日常業務にあたりますが、これは取締役としての業務執行ではなく、取締役としては単に取締役会の構成員です。
代表取締役、役付取締役は、上に述べた取締役としての一般的な職務と義務に加えて、業務の執行そのものに関しても善管注意義務と忠実義務を尽くさなければなりません。
対外的業務のほか、部下の監督などに関しても注意を尽くす義務があります(大和銀行事件ではこれが問題になりました)。また、代表取締役は取締役会決議を経ずに重要な対外的取引などを行うと義務違反となります。
代表取締役、役付取締役の注意義務が平取締役にくらべて程度が高くなるわけではありませんが、「それぞれの職務や法的地位に相応の注意義務」を尽くすという意味で、その範囲が広くなることはあります。

【社外取締役(非常勤取締役)の義務】
会社の業務執行に関与せず、単に取締役会の構成員としての地位を有するだけの社外取締役であっても、取締役である以上、取締役として、業務執行の監視、監督義務があり、それに関してやはり善管注意義務、忠実義務を尽くさなければなりません。
取締役会など重要な会議に出席することはもちろん、常に会社の状況を把握できるように努め、必要な発言や行動をとる義務があります。
名目的に取締役に就任した者であっても同じで、取締役としての監視、監督義務を免れるものではありません。
ただ、社外取締役(非常勤取締役)は代表取締役や業務執行取締役による業務執行にすべて精通することは困難であるのは当然で、そういう地位、立場として相応な注意義務を尽くせばそれでよく、法はそれ以上の要求をするわけではありません。

【取締役が基本的義務に違反した場合の責任】
取締役が上記の基本的義務に違反した場合の責任は、それによって会社に生じた損害を弁償する責任、つまり損害賠償責任です。
はたしてその取締役の行為が義務に違反していると言えるのかどうか、また義務違反があるとして、それと相当因果関係にある損害額をいくらと認定すべきか、など、問題はきわめて高度な法律判断に委ねられていますが、それらについて順次解説していきます。

(2000/11/06)
【取締役の監視・監督義務】
取締役には、他の取締役の業務執行を監視・監督する義務があります(商法260条1項)。
したがって、もし他の取締役の不適正な業務執行によって会社に損害が生じた場合、それを阻止できなかった取締役は、たとえ自らはその業務執行に参加していなかったとしても、会社に対し損害賠償責任を負うことになります。
そういうことのないよう、取締役は他の取締役の業務執行をできる限り観察し、不適切な点があれば、調査し、指摘し、是正を促す、また、取締役会において問題提起する、ということを日常的に行わわなければなりません。
しかし、日本の多くの会社では、必ずしもそのような現実になっていません。取締役の監視・監督義務ということを理解し、意識し、実践している取締役がどれだけいるか大いに疑問です。
とくに大会社においては、そのような例は少ないだけでなく、むしろ監視義務ということ自体、違和感ないし拒否反応をもって受け止められているようです。
その原因は、各取締役が特定の部門の責任者を兼ねており(例えば、「常務取締役営業本部長」とか「取締役総務部長」というように)、経営全般を大所高所から目配りするというよりも、自分の担当部門の業務執行により強い関心と責任感をもっているところにあります。
また、その延長として、自分の担当部門のことについては、ほかの取締役から口出しをされたくないと考える傾向があります。お互いそうですから、仮にほかの部門に是正しなければならない問題を発見しても、それを指摘するような発言は極力自制するということになります。
ある大商社の取締役会で、ある取締役がほかの部門のことでひとこと質問したところ、あとでそこを所管する取締役から無礼であると抗議を受けた、というエピソードを聞いたことがあります。
つまり、日本の多くの会社では、法が期待した取締役の監視義務とは反対に、他の取締役の監視・監督は行わない、お互い口出しはしない、という暗黙のルールがむしろ支配的であると言えます。
このような傾向は、商法(会社法)の趣旨から言って好ましくないだけでなく、チェック機能が不十分な組織はやがて健全性を失うはずです。
近年日本企業で多発した企業不祥事の背景にはこのような会社経営のチェック機能の不全があると指摘されるのももっともなことと思えます。
しかし、このような日本の企業環境においても、最近ようやく新しい潮流が始まったようです。
取締役を各部門の業務執行責任から開放し(いわゆる使用人兼務取締役を廃止するなど)、各部門の業務執行は「執行役員」に任せる、そして、取締役は、取締役会の構成員として、会社経営の全般的観察、戦略的視点からの意思決定を行う、という本来の役割に変更する企業が増えてきました。
最近導入が盛んになった「社外取締役」もその一環です。

【監視義務の範囲】
次に、取締役はいかなる範囲で監視義務を負うのか、という点が問題になります。
取締役は本来取締役会の構成員にすぎないのですから、取締役会に現れた問題についてのみ監視義務を果たせばよい、とする考え方があります。
しかし、取締役会は限られた議題しか取り上げないし、常設の機関ではないのでタイムリーな問題提起ができない、などの理由で、取締役にはもっと積極的な目配りをしてもらわないと、会社のチェック機能としては十分ではありません。
このような見地から、現在の通説・判例は、取締役の監視義務は取締役会に上程されたことがらに限らない、としています。

但し、取締役は会社の業務執行のすべてにわたって不断の監視を行う必要まではなく、不当な業務執行を察知した場合とか、少し注意を払えば察知できたのにそれを怠った、という場合にのみ責任を問われることになります。
その意味では、代表取締役や業務執行取締役は平取締役より監視の目がより行き届くはずですから、監視義務の範囲も当然広くなります。
しかし逆に、トップに行けば行くほど、下位の取締役に権限を委譲するわけですから、そこから下の業務執行状況については目配りはできないし、する必要、義務はないということにもなります。
社外取締役なども、相対的に監視義務の範囲が狭くなります。
小会社によくある名目的取締役の場合、名目的というだけで取締役の監視義務を免れることはできませんが、責任が問題になるときは、目配りの程度、範囲についてやや寛大に認定されることはあります。
結局、それぞれの職務、立場において、客観的に監視が可能な範囲(相当性の範囲と言ってもよい)では監視義務があるということであり、反面、客観的に監視が不可能または困難な場合にまで法は監視義務を科するものではないということです。

【大和銀行巨額損失事件における取締役の監視義務】
この事件では、元および事件当時のニューヨーク支店長であった取締役が、不正取引を防止する措置をとらなかったことが任務懈怠に当たるとして責任を問われましたが、それ以外の取締役および代表取締役は(その点に関しては)責任を問われませんでした。
なぜなら、ニューヨーク支店の管理体制等に関しては現地取締役に委ねており、それは許されることであるから、その管理体制の不備に関して直接の任務懈怠があったとは言えない。また、不正取引を発見できなかったのは不適切な検査方法のためでもあるが、現地の取締役以外はそこまでの監視義務があるとは言えない、という判断です。
上に述べたことがすべて当てはまります。
この判決に対する世間の評判は悪いようですが、取締役の善管注意義務および監視義務の範囲という点ではリーゾナブルな判断と言えます。

(2000/11/15)
2 取締役の会社に対する責任

商法266条第1項には、問題となる取締役の行為とそれについての会社に対する責任が次のように規定されています。

【法令・定款に違反する行為】
取締役が法令・定款に違反する行為をしたときは、それによって会社が被った損害を賠償する責任を負います。取締役の行為を規制する法令には多種多様なものがあります。
前述した取締役の基本的義務である善管注意義務、忠実義務、監視義務に違反する行為は商法に違反する行為です。
商法違反の行為にはこのほか、例えば、自己株式取得の制限(商法210条)に違反して自己株式を取得する行為、会社との競業禁止(同法264条)に違反する行為などがあります。
商法以外では、労働基準法、独占禁止法、証券取引法、税法等の法令に違反する行為があります。
いずれの場合も、その結果会社に損害が生じたときは、その損害を賠償する責任があります。
大和銀行巨額損失事件の判決では、外国の法令もここにいう法令に含まれると判示されました。ニューヨーク連邦準備銀行に虚偽の報告をし、不正行為の隠蔽工作をしたことがアメリカの法令に違反する行為だったのです。

【違法配当】
商法266条第1項には、上記のような包括的な法令違反行為のほか、次のような取締役の具体的行為と、それに関する取締役の責任が定められています。
まず、粉飾決算などを行い、本来株主に利益配当できないにもかかわらず、配当を行った場合の責任です。
この場合は、その配当議案を提出した取締役およびその取締役会において決議に賛成した取締役は、違法配当をした金額を会社に賠償する責任を負います。
この責任は、無過失責任、つまりそれら取締役に過失があったか否かを問わないとされています。

【株主等に対する利益供与】
株主総会で質問などをされないように総会屋に金品をわたすような行為は違法です(商法294条の2)。民事上だけでなく、刑事責任も問われます。
その種の不祥事が大企業で繰り返されていることはきわめて残念なことです。
取締役がこのような利益供与をしたときは、その供与した利益の額を会社に支払う責任があります。

【取締役に対する金銭の貸付】
会社が取締役会の承認に基づいて特定の取締役に金銭を貸し付けたところ、後日それが返済されなかったときは、その貸付を承認した取締役は会社に対し連帯して未返済分の返済責任を負います。
これも無過失責任です。貸し付けたことに過失があったか否かは関係ありません。

【自己取引・利益相反取引】
取締役とその会社の間の取引を自己取引と言います(商法265条1項)。
取締役所有の土地を会社が買い受けたり、取締役が会社から借金するという直接取引と、会社が取締役の債務を保証するような、会社と第三者が行う取引だが取締役と会社との利害が相反する間接取引があります。
取締役が他社の代表取締役を兼務しているときにその会社の債務を自社が保証するというのもこの間接取引にあたります。
このような取引をそれぞれの取締役に任せておくと会社に不利益な取引が行われるおそれがあるため、このような取引には取締役会の承認を得なければなりません。
しかし、自己取引を行った取締役は、取締役会の承認を受けたかどうかにかかわりなく、もしその取引の結果会社に損害が生じたときは(対価が不当であった場合等)、自己取引を行った取締役会および決議に賛成した取締役は連帯して会社に対しその損害を賠償する責任を負います。

(2000/12/15)
【経営判断の誤り】
善管注意義務違反を問われる一つの類型に、「経営上の判断の誤り」があります。
具体的な法律違反を犯したわけではないが、ある経営上の判断をし、それを実行したところ、結果的にそれが失敗に終わり、会社に大きな損害を与えた、という場合です。
例えば、新規事業に進出すべく投資を行ったが、赤字続きでついに投資額も回収できず撤収をよぎなくされた。関係会社へ融資したところ、その会社の経営が破綻し、貸付金が焦げ付いてしまった、というような場合です。
これらは、結果からみれば、経営上の判断を誤ったということになります。
取締役の責任が問われる裁判では、もちろん結果において損害が発生している場合ですから、その結果に着目して事後的判断をされると、ほとんどの場合、取締役は経営判断を誤り、賠償責任があるということになってしまいます。
しかし、このような場合まで、取締役個人が善管注意義務違反を問われ、損害賠償を命じられるようでは、取締役というのは危険すぎてやっておれない、ということになります。
もちろん、上記の例でいうと、そのような新規事業は誰が見ても明らかに無謀であったとか、融資先の経営内容を調査せず、無担保で多額の貸付けを行った、という場合であれば、その経営判断の不注意、不合理性を非難されてもやむを得ないといえます。
しかし、一定の資料に基づき、常識的な分析と予想を行ったうえの経営判断であったとすれば、結果のみから、その判断は誤ったものであったと断定するのは理不尽、不当です。
およそ会社の経営というものは少なからぬ危険と冒険をともない、不確実性を含んだものです。
100パーセント利益確保が見込める場合以外は新規投資を行ってはならない、とか、いささかでも信用不安がある会社には融資を行ってはならない、といった規範に縛られていたら、およそ会社経営はなりたちません。
また、取締役として有能な人材を確保することも困難になります。
取締役を選ぶ株主の側からみても、取締役の能力を信頼し、不確実性を容認し、また経営の裁量権を与える意思のもとに取締役に選任したはずで、あまりにも萎縮した経営態度は株主の利益にもなりません。

【経営判断の原則】
そこで、「取締役による経営判断の内容が、企業経営につき通常の能力を有する経営者の立場からみて、明らかに不合理と認められない限り、取締役の責任は生じない。」という理論が出てきます。
これが、「経営判断の原則」または「経営の合理性に関する判断の原則」といいます。
アメリカ法による「ビジネス・ジャッジメント・ルール」という判例法に由来します。
現在では、日本でもこの考え方は判例・学説上広く肯定されています。定着した理論といってよいと思います。
この理論を明確に打ち出した「セメダイン事件」判決(東京地裁平成8年2月8日)は次のように述べています。
「取締役は、法令・定款及び株主総会の決議に違反せず、会社に対する忠実義務に背かない限り、広い経営上の裁量を有している。」「判断の前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、意思決定の過程・内容が企業経営者として特に不合理・不適切なものといえない限り、義務違反とはならない。」
また、前にも述べた「大和銀行事件」判決(大阪地裁平成12年9月20日)でも、この判決の基準を踏襲して次のように述べています。
「取締役に対し、過去の経営上の措置が善管注意義務・忠実義務に違背するとしてその責任を追及するためには、その経営上の措置をとった時点において、取締役の判断の前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがあったか、あるいは、その意思決定の過程、内容が企業経営者として特に不合理、不適切なものであったことを要する。」

【法令違反の行為には裁量は及ばない」
大和銀行事件判決では、上記判示をしたうえ、それに続けて次のように述べています。
「もっとも、このように、取締役には広い裁量が与えられているが、取締役は、会社経営を行うにあたり、法令を遵守することが求められているのであり、取締役に与えられた裁量も法令に違反しない限りにおいてのものであって、法令に遵うか否かの裁量が与えられているものではない。」
つまり、取締役が法令に違反する行為を行った場合は、「経営判断の原則」がはたらかず、やはり結果不首尾の責任は問われる、ということです。
取締役は、結果責任のみを問われることはなく、その意味で、おそれおののく必要はないと言える反面、「コンプライアンス(遵法)」を常に実行していないとその立場は守られない、という結論になります。

(2001/01/01)
【業務執行を行った代表取締役・業務執行取締役】
業務執行を行うのは、対外的には代表取締役、対内的には代表取締役および業務執行取締役(役付取締役)です。
これらの取締役が法令・定款に違反する不適切な業務執行を行い、それによって会社に損害を与えたときは、実際にその業務執行に当たった取締役が責任を負うのは言うまでもありません。
その業務執行に関与していたのが複数の取締役であった場合は、その全員が責任を負います。

【監視義務を怠った取締役】
前に述べたとおり、取締役にはその種別を問わず、「監視義務」があります(商法260条1項)。
すべての取締役は、代表取締役らの業務執行が法令・定款に適合しているかどうかを監視し、不適切な点があれば、調査し、指摘し、是正を促す、また取締役会において問題提起する、ということを日常的にしなければなりません。
その義務を怠り、代表取締役らの違法な業務執行を見過ごした場合は、たとえ自らはその業務執行に関わっていなかったとしても責任を問われることになります。

【取締役会決議に賛成した取締役】
すべての業務執行が取締役会の決議に基づいて行われるわけではありません。代表取締役らに包括的に委任された範囲内で行う業務執行や、代表取締役らが権限を逸脱して独断専行で行う業務執行もあります。
それらのなかで、取締役会の決議に基づいてなされた事項については、取締役会においてその議案に賛成した取締役は自らもその行為をなしたものとみなす、とされています(商法266条2項)。
取締役は、取締役会で決議対象とならなかった事項についても監視義務があり、まして決議の対象となっていて発見することが容易であった違法行為を阻止しなかったことは、より厳格に、むしろ違法行為に加担したものとして咎められるべきであるというわけです。
さらに、その延長として、決議に賛成はしなかったが、議事録に異議あることを記載せずに署名捺印した、という場合は、その議案に賛成したものと推定されます(同法266条3項)。
つまり、反証できない限り、賛成した取締役として、その業務執行に加担したのと同様の責任を問われることになります。

【取締役会に出席しなかった取締役】
問題の議案が審議された取締役会に出席しなかった、従って、議事録に署名もしなかったという取締役については、上記のみなし規定や推定規定ははたらきません。つまり、違法行為に加担したという責任は問われません。
ただし、不当な決議が取締役会で審議されることを承知しながら、自己の責任を回避する目的でわざと欠席したような場合は、不当な業務執行を見過ごした、という点でやはり監視義務違反を問われることになります。
なお、取締役会に欠席した取締役については、議事録に署名をする義務はありません。

【取締役の連帯責任】
このように、代表取締役らによって違法な業務執行が行われた場合、通常複数の取締役にその責任が及びます。
その場合の各取締役の責任は「連帯債務」とされています(商法266条1項)。
連帯債務という意味は、各自が損害賠償金の全額を支払わなければならない、ということです。
つまり、どの取締役が損害賠償請求を受けても、請求された取締役はとりあえずその全額を支払わなければなりません。
そして事後的に、責任を負う各取締役の内部関係において、一定の負担割合に応じた精算が行われることになります。
自分の負担部分を越えて賠償金を支払った取締役は、ほかの取締役に対して求償することができるのです(民法442条)。
もっとも、各取締役の具体的な負担割合については法律に定めがありません。
取締役の地位(例えば議決権など)は対等であるから負担も平等である、とも考えられますが、その業務執行に関わった各取締役の寄与度・関与度によって差異をもうけるのが合理的であると考えられます。
例えば、自己取引(前述)を行った取締役と単にその監視義務違反を問われた取締役とではその責任の程度にかなり差があるはずです。
なお、何度も引用する「大和銀行事件」判決においては、責任のある取締役の全員に対し、同一の損害賠償について連帯債務を課したわけではありません。
違法行為が必ずしも単一とは見られなかったため、行為ごとにそれに関与した取締役をグループ分けし、そのそれぞれについて、その行為に起因して生じた損害を認定したうえ、それに関与した複数の取締役に対し連帯債務を課した判決でした。

(2001/01/21)
【取締役の責任を追及するのは誰か】
取締役に善管注意義務違反などがあり、会社に対して損害賠償責任を負う場合、具体的に誰が当該取締役に対し、責任を追及し、損害賠償請求の訴えを起こすのか、という問題です。
当該取締役が自ら責任を認めて会社に損害賠償をすればもちろん問題はありません。
しかし、そのような自発的な行為が期待できない場合は、誰かが会社を代表し、会社の名において当該取締役に対し、損害賠償請求の訴えを起こさなければなりません。
会社と取締役の間の訴訟については監査役が会社を代表すると定められています(商法275条の4)から、もしその訴えを提起するとすれば、監査役がしなければなりません。
しかし、日本の会社組織の実態においては、監査役は取締役から独立した地位にあるとは言い難く、したがって、監査役が取締役と対立関係に立ったり、取締役を訴えるということは現実的にはあまり期待できません。
よいことではありませんが、身内をかばう仲間意識や馴れ合いが前面に出てしまいます。
その結果、通常は、会社自身が当該取締役に対し損害賠償請求の訴えを起こすということほとんどないのです。

【新経営者が旧経営陣の責任を追及することはある】
しかし、会社の経営陣に交代があったときは様相が変わります。
経営陣の交代は、経営権の争奪戦があって旧経営陣が敗退した場合、また、会社の経営が破綻し、旧経営陣が責任をとって辞任し、再建のために新しい経営陣が乗り込んできた場合などに生じます。
このような場合、新経営陣が元の取締役に対し、在任中の取締役としての責任を追及することはよくあります。
新経営陣は過去のしがらみや情実にとらわれずに、遠慮なく旧経営陣の責任を追及します。むしろ、そういう使命を帯びてその地位につくことも少なくありません。
例えば「そごう」の場合、民事再生法の適用を申請をし、水島前会長など旧経営陣は退陣、新しい経営陣のもとで再建計画が進められています。
その過程で、現経営陣は、水島前会長ら旧経営陣19名に対し、在任中の取締役の責任として、総額約112億円の損害賠償請求を行っています。
また、会社更生法が適用された「三田工業」では、会社代表者の地位に就いた更生管財人が旧経営陣4名に対し約19億円の損害賠償請求を行っています(この事件は和解で決着済み)。
会社更生法の金融・保険版ともいうべき更生特例法の適用を受けた「千代田生命」でも、管財人が旧経営陣の責任を追及しようとしています。
そのほか、金融再生法に基づく金融整理管財人が金融機関の旧経営陣に対し損害賠償請求を行っているケースもあります。
また、新経営者の意を受けて不良債権を引き継いだ整理回収機構(RCC)が元の金融機関の取締役に対し損害賠償請求を行っているケースもあります。

【株主代表訴訟】
上記のような例を別とすれば、取締役に損害賠償責任があっても、会社自身はそれを追及したり、訴訟を起こしたりはしない、という状況になります。
そのような場合は、その会社の株主が責任追及の主体として行動できることになっています。
その株主は会社のために、会社の代表機関的地位に立って訴訟を追行するので、これを「株主代表訴訟」と言います。
6か月前から引き続きその会社の株式(1単位株でも)を持っている者なら誰でも原告になることができます。
訴訟を提起するには、それに先だって、会社に対し、書面をもって、当該取締役の責任を追及する訴えを会社自身が起こすように請求します。
この場合、会社を代表するのは監査役で、監査役に対してその請求をしますが、小会社(資本金1億円以下で負債総額200億円未満)では、監査役に会社を代表する権限はないので、代表取締役に対して請求します。
会社が請求を受けた日から30日以内に訴えを提起しないときは、その株主が自ら会社に代わって訴訟を起こすことができます。
請求を受けた監査役が取締役に対して訴えを起こしたという例は聞きませんから、結局は請求したその株主が原告となって、当該取締役を被告として訴訟が始まります。
原告は株主ですが、請求の趣旨は「〇〇取締役は会社に対し金〇〇円を支払え。」となります。通常の請求訴訟のように「原告に対して金〇〇円を支払え。」という訴訟ではありません。あくまで会社のために行う訴訟なのです。
その結果、株主側が勝訴した場合でも、賠償金は会社に支払われ、原告である株主に支払われるわけではありません。弁護士費用その他の費用は回収することができますが、それ以上の個人的利得はありません。
逆に、株主側が敗訴した場合は、訴訟費用の回収すらできません。
したがって、株主代表訴訟は、「株主オンブズマン」のような、特別な株主によって提起されることが多いようです(ときに、売名行為的なものも見られますが)。
彼らは、反社会的な企業の行動などを告発する立場から、例えば、総会屋に利益を供与した取締役の責任などを、株主代表訴訟という手段によって追及するのです。

(2001/02/01)
【取締役が支払わなければならない金額】
前に述べたところですが、取締役は、違法行為または任務懈怠があったときは、会社に対し次のような金銭の弁償をしなければなりません(商法第266条1項)。
1 違法な配当を行ったときは、その配当額。
2 総会屋等に利益供与を行ったときは、その供与額。
3 他の取締役に金銭を貸し付け、それが返済されないときは、その未返済額。
4 取締役と会社の間で取引がなされ、それによって会社に損害が生じたときは、その損害額。
5 その他法令・定款に違反する行為を行ったときは、そのために会社に生じた損害額。

【善管注意義務違反の場合】
取締役の責任が問われるもっとも多い事例は、取締役としての善管注意義務、監視義務を怠った場合です。
これは、上記5に該当します。
5には、積極的に違法行為を行った場合のほか、任務懈怠、つまり任務を怠ったり、不注意によって会社に損害を生じさせた場合も含みます。
取締役は、業務執行を行う際、また監視義務を尽くさなければならない場面において、単に悪いことをしないだけでなく、落ち度のないように、十分な注意を払ってその任務を遂行しなければなりません。
もしその義務に違反し、会社がそのために損害を被った場合は、その取締役は会社に対してその損害を賠償しなければならないのです。

【損害賠償とは】
損害賠償というのは「実損害の補填」です。違法行為に対する罰金(ペナルティ)ではありません。
実際に会社に生じた損害額を計算し、その金額の支払いを命じられるのです。
したがって、違法行為があっても損害が生じていないときは賠償する必要はありませんし、実際の損害額以上の金額をペナルティとして課せられることもありません。
逆に、任務懈怠の程度(違法性の程度)は大したことはなくても、会社に生じた損害が高額の場合は、賠償しなければならない金額も高額になります。

【巨額の賠償が命じられた事例】
この点で、大和銀行事件第1審判決(大阪地裁平成12年9月20日)が大きな反響を呼びました。
この事件は、大和銀行ニューヨーク支店の行員が債券の無断取引によって1000億円を超える損害を発生させ、取締役らが監視義務違反等の責任を問われた事件です。
これが世間の耳目を集めたのは、取締役らの責任の内容もさることながら、判決で命じられた賠償額があまりにも巨額であったためです。
11人の取締役、元取締役に対し、総額約830億円、当時の取締役ニューヨーク支店長に対しては、1人で約560億円もの巨額の賠償が命じられたのです。
この判決が出たあと、取締役個人がとても賄えないこのような金額を命じるのは非常識であるとか、取締役がこのような大きな危険にさらされるのでは、取締役のなり手をなくし、また会社経営というものを萎縮させてしまう、という強い反発と批判が沸騰しました。
平成12年10月18日の日経新聞「大機小機」欄では、「株主代表訴訟の自爆」と題して次のような痛烈な批判を掲載しています。
「この裁判官がどのような正義感の持ち主かは知らぬが、バランス感覚を欠いた正義感の発露は制度の自爆をもたらすのではないか。」「賠償額の算定は裁判官のコモンセンスをもって行われるべきで、その上限を一律に画すべきではないと考えていたが、さすがに今回の判決で考えが変わった。裁判官にコモンセンスが期待できないのならば、その暴走を法律で止めるほかないと思えてきた。」「優先されるべきは正義感よりバランス感覚で、今回の判決はやはりナンセンスとしか言いようがない。・・・」

【妥当な賠償額に制限するには】
上記判決は賠償金額の点を除けばリーゾナブルなものであるとの感想や評釈が多いなか、さすがに金額の点では、程度の差こそあれ、上記のような批判がかなり一般的でした。
あえて弁護すれば、裁判官もこの賠償額が常識的でないことはわかっていたと思われます。
しかし、前述したとおり、現行法上、取締役の責任はペナルティではなく、損害の賠償という構造になっていることから、当該取締役に責任ありと認定された以上は、会社が被った実際の損害額を算定し、その金額の支払いを命じるのは当然の帰結でもあります。
そういう法律が不適切というのであれば立法的に解決すべきで、判決批判は、現行の法律に照らして判断することを任務とする裁判所の守備範囲を理解していないもの、という論理にも一理があります。
そこで、方策は2つあると思います。
1つは、裁判所が現行法の解釈として許されるぎりぎりの努力と工夫を行って、現行法の枠内で、より妥当な結論を導くことです。
この点に関しては、次回、私見をまじえてさらにくわしく説明します。
もう1つの方策は、現行法の解釈によってはどうしても妥当な結論を導けないとすれば、それは法律が間違っているのですから法律を改正することです。

【自民党、財界は法律改正論】
現在自民党や財界は株主代表訴訟制度(つまり取締役の責任を追及する訴訟)の抜本的見直しを検討しています。
当然そのなかに、取締役の賠償金額の軽減(上限を決める)や責任免除の規定を置くことを意図しています。
しかし、他方で、安易に法律を改正して取締役の責任を軽減することには根強い反対意見もあります。
それは、過去大企業の取締役が数々の不祥事(総会屋に対する利益供与ほか)を起こしたこと、株主や市民がそれを非難し、再発を抑止する手段として、現行の「株主代表訴訟」がきわめて有効な手段であることに起因しています。
その意味では、自民党や財界が頭から株主代表訴訟制度に否定的、敵対的な態度をとっているのは適切とは言えません。
いずれにしても、株主代表訴訟を含め、取締役の責任を追及する法律の仕組みは過大に機能してもいけないし、過小に機能してもいけないのです。
公正な企業社会を実現するためのインフラとして、適正かつ合理的な法律の存在と運用が何よりも重要です。

(2001/02/18)
【大和銀行事件の巨額賠償判決】
「大和銀行事件」では、元ニューヨーク支店長のA取締役が、同支店勤務の行員が不当な債券操作を行っていたのにそれを発見できなかった不注意を咎められ、その行員の行為によって会社が被った約560億円の損害について、1人でその全額の賠償を命じられました。
別の理由ではA取締役を含めたほかの取締役らも損害賠償を命じられていますが、とりあえず、このA取締役の責任問題について検討してみたいと思います。
たしかに、ニューヨーク支店におけるチェック態勢は不備でずさんであったことは明らかに認められます。
しかし、そうだとしても、A取締役個人にそれほど巨額の賠償を命じることははたして妥当だったでしょうか。
これを妥当であるとして支持する論調は見られません。逆に、痛烈な批判は多く見られ、その一例は前回紹介したとおりです。

【なぜ不当なのか】
それではなぜこの賠償金額が不当と感じられるのでしょうか。
1  まず、560億円というのはとても個人で支払える金額でないことが誰の目にも明かです。「天文学的金額」と評した人もいました。
法律が不可能を命じるのはおかしいと思うのは自然です。
ゼロにできないミスは保険でカバーするのが現代社会の仕組みですが、100億円を限度とする役員賠償保険に加入しようとすれば、年間5000万円の保険料がかかります。
2 A取締役自身も会社幹部としてときにはミスを犯すこともあると覚悟していたと思われますが、まさかこのような巨額の賠償命令を受けるとは夢想だにしていなかったはずです。
想像を絶する、つまり予測の範囲を大きく越える巨額の賠償を課することは法律自体も想定していなかったに違いありません。
3 A取締役の行為は部下に対するチェックが不十分であったというだけです。自ら積極的、意識的に違法行為を行ったわけではなく、またこの部下の行為によって個人的利得を得たわけでもありません。
にもかかわらず、これを重大な背任行為を行ったような場合と同様に責任を問うのはいかにも理不尽です。
つまり、故意による違法行為(犯罪行為)と過失(不注意)による損害の発生を、賠償すべき損害額という点で同列に扱うのは公平の見地から納得しづらいのです。
4 部下が生じさせた損害の全額がなぜそのままA取締役の責任金額になるのかも疑問です。
少なくとも、この点の論理なり説明が判決文中で示されなければなりません。
5 この裁判は株主代表訴訟の形を取っていますが、会社対A取締役の関係、つまり会社がA取締役に請求している問題です。
しかし、会社は被害者で、A取締役だけが悪い、という捉え方は正しいのでしょうか。
会社全体のチェック機能、危機管理システムの不備もあってこのような不祥事を誘発したのではないのでしょうか。
A取締役をニューヨーク支店長に任命したのも、問題の行員を採用し、ニューヨーク支店に配属し、長らく転勤もさせなかったのもすべて会社がやったことです。
このような会社とA取締役の立場からして、A取締役が会社に対して損害の100パーセントを支払うのはおかしいのではないでしょうか。
6 会社は誰のものか、という議論があります。仮に株主のものだとして、株主はA取締役に560億円もの損害の補填を要求または期待するでしょうか。
取締役は株主が選任したのであり、株主は取締役に経営を任せたのです。ミスを犯さないことを期待したのは当然として、不幸にしてミスを犯した場合、その取締役個人に対して560億円もの弁償を要求するとしたら、株主の権利の濫用ではないでしょうか。
株主自身はいわゆる「株主有限責任の原則」によって、出資金つまり株式を取得した金額以上には損をしないことを保証されています。それなのに、自分らが経営を任せた取締役には無限責任を要求するのは公平の見地から正当とは思えません。
7 過去A取締役は会社に対し大きな貢献をなし、大きな利益をもたらしたはずです。そうでなければ副頭取まで登れません。その功労に対する会社の処遇(年収2000万円くらいでしょうか)と、ミスを犯した場合の560億円の賠償責任はこれまた均衡を失しています。
処遇とリスクにあまり大きな乖離があると、不条理感が増大するだけでなく、取締役のなり手が少なくなるという危惧も現実味を帯びてきます。

【法律的アプローチ】
上に述べたのは、あくまで巨額の賠償命令に対する一般的な印象、市民感覚による批判にすぎず、必ずしも法律的根拠に基づいているものではありません。
ただ、残念ながら、この判決に対する法律家の評釈などでも、問題提起はするものの、真正面から理論的根拠を示してこの巨額賠償判決の不当性を論述したものはまだ見当たりません。
ここでも、その域は出ないものの、一般的印象よりはもう少し掘り下げてこの問題の理論的アプローチを試みてみたいと思います。
取締役と会社の関係は委任契約で、その契約の内容として、取締役は善管注意義務を負っています。
そのため、取締役がこの義務に違反すると、債務不履行責任、つまり損害賠償責任が発生します(民法第415条)。
問題は、この場合の「賠償すべき損害の範囲」です。
それは「債務不履行と相当因果関係に立つ損害」とされています(民法第416条)。
つまり、その債務不履行によって生じた損害の全部では必ずしもなく、そのうち、そのような債務不履行を犯せば一般的に生ずるであろうと認められる損害、という意味です。
また、特別な事情が介在して損害が発生した、または損害が拡大したという場合は、それを予見し、または予見できた場合に限り、その損害も「賠償すべき損害」に加える、ということになっています。
さて、この基準を大和銀行のA取締役の場合に当てはめてみるとどうなるでしょうか。
部下に対する監視ミスを犯せば、一般的にまたは通常560億円もの損害が発生するでしょうか。
また、特別事情によると考えてみても、A取締役はこのような事態にまで発展することまで予見し得たでしょうか。
このあたりの議論を正確に理解するには高度の法律的素養を必要とするのですが、要するに、この条文の解釈上の工夫によって、取締役の賠償責任を相当性の範囲内に抑えることができないだろうか、と思うのです。
民法の大御所である故我妻栄先生も、「相当因果関係論を実際に適用するには多くの困難に出会う。しかし結局においては、信義公平の理念に訴えて結論を導くほかない。」と述べておられます。
惜しむらくは、大和銀行第1審判決がこの「信義公平の理念に訴えて結論を導く」ことを怠ったということではないでしょうか。
なお、民法418条には次のような定めもあります。
「損害賠償を請求する側にも過失があったときは、裁判所は責任及び金額を決める際、それを斟酌しなければならない。」
いわゆる「過失相殺」の規定です。
この規定を用いて、ニューヨーク支店の不祥事には会社側にも過失があった、したがって、一人A取締役だけに全額の賠償責任を負わすべきではない、と考え、損害額のうち相当部分を過失相殺し、取締役の賠償額を相当程度減縮する、という法律の解釈と適用も十分に可能であると思われます。
事例は同じではありませんが、このように、取締役の責任に関し、過失相殺によって取締役の賠償額を減縮した判例はいくつかあります。
このほか、取締役の会社に対する功労等を斟酌して、いわゆる「損益相殺」した判例もあります。

(2001/04/03)
【取締役の責任と株主代表訴訟の関係】
大和銀行の取締役に対し巨額の損害賠償を命じた平成12年9月の大阪地裁判決が契機となって、最近、株主代表訴訟制度の見直し論が高まっています。
しかし、実は、取締役の賠償責任が不当に大きすぎるという議論と、株主代表訴訟の仕組みが不適切であるという議論は次元の異なる問題です。
前にも述べたように、取締役の賠償責任を追及するのは株主による株主代表訴訟に限りません。そごうのように、現在の経営者(代表取締役)が元取締役を訴えることもあれば、破綻した金融機関のように、金融整理管財人が元取締役を訴えることも少なくないからです。
そのいずれの場合でも、責任を問われる取締役の賠償金額が妥当かどうか、という問題は生じるのです。
にもかかわらず、今、株主代表訴訟制度そのものが議論の対象になっている背景には、かねがね株主代表訴訟というものをこころよく思っていなかった経営者や経済界が、巨額の賠償が不当であるという議論に絡めて、この際、株主代表訴訟の仕組みそのものも改変したいという意図があるようです。
大和銀行判決は、経営者の株主代表訴訟制度に対する嫌悪感にあらためて火をつけ、加えて、株主代表訴訟の不当性を声高に主張することの正当性を与えたとも言えます。
一部の経済団体のトップは株主代表訴訟制度はない方がよい、とさえ発言するようになっています。
しかし、そのような意図とは別に、取締役の賠償責任が不当に高額にならないような仕組みが必要であることもたしかで、それが現行法の解釈によっては無理となれば(無理ではない、というのが筆者の見解ですが)、法律を改正して、賠償額の上限を定めるのも一つの方法です。

【取締役の賠償額に上限をもうける案】
自民、公明、保守の与党3党は商法プロジェクトチームを作り、株主代表訴訟の見直しに関する法律改正案を現在検討しています。
そのなかで、問題の取締役の賠償額については、「報酬の2年分」程度の上限をもうけることですでに意見が一致している
ようです。
しかし、その程度であれば、取締役に対する牽制、つまり違法行為を絶対さけるとか、細心の注意をもって経営に当たるという動機付けには不十分ではないか、保険(役員責任賠償保険)でカバーされ、モラルハザード(倫理の欠如)を招くのではないか、という意見もあります。
また、限度額を定めるということは、裁判規範として、裁判官はその範囲でしか賠償を命じられない、とするのか、それとも、裁判は現行法によって行われることを前提にして、もしそれが不当に高額であると考える場合には、株主総会または取締役会の決議によって事後的に軽減することができる、ということにするのか、このあたりは新聞報道で見る限りではまだ明確ではありません。
後者、つまり裁判所の判断を事後的に変更することができる、とするのは不適切であると考えられます。
なぜなら、そんなことをすれば、裁判や判決の意味、権威はなくなってしまいます。はじめから、株主総会や取締役会において取締役の賠償額を決定すればよいことになります。
また、株主総会や取締役会に、取締役の責任追及に関してそのような権限を与えることが果たして適当か、という問題もあります。
近年の日本の企業秩序(コーポレートガバナンス)の乱れや企業不祥事が、株主総会や取締役会が本来のチェック機能を果たしてこなかったところにあることは今や自他ともに認めるところです。
そして、株主代表訴訟制度がある面でそれを補完し、一定の社会的役割をはたしてきたことも否定できないのです。
近い将来、今のように形骸化した日本企業の株主総会、取締役会、監査役等は大きく変革されるはずですが、それまでは、取締役の責任追及をそれらの機関の裁量に任せることは好ましいこととは言えません。
従って、私見によれば、取締役の責任追及に関し、その賠償額は、現行法のもとで、裁判所の柔軟な法律解釈と合理的判断に委ねるのが好ましく、もしそれが期待できないとなれば、法律によって責任限度額を定め、裁判官はその範囲内の適正妥当な金額を認定し、その判決が拘束力をもつ、ということにするほかありません。

【賠償額に限度をもうける場合の付随的問題】
ところで、「報酬の2年分」と言っても、「報酬」の定義、範囲を明確にする必要があります。
狭義の役員報酬だけなのか、従業員兼務の場合の従業員給与部分はどうするのか、ストックオプション(自社株購入権)を行使して得られた利益も含めるのか、などを具体的に決める必要があります。
また、報酬額を基準に賠償額を決めることになれば、当該取締役の報酬額を、裁判所や株主総会などに開示する必要がありますが、現在のところ、多くの企業は個々の取締役の報酬額を開示すること(個別開示)を拒んでいます。
また、故意、重過失、犯罪等に起因して会社に与えた損害については、同じ限度額を適用するのか、そのような場合は対象外とするのか、という問題もあります。
最近導入がはかられつつある社外取締役の処遇についても、同じにするのか、別にするのか、という問題があります。

(2001/05/04)
【事例解説】
今まで9回にわたり、取締役の責任について、総論的な解説をしてきました。
ここからは、裁判になった具体的事例について、判決文などを参考にして、個別に解説していきます。
取り上げる順序にはとくに意味はありません。
取締役の責任を追及するのは、その会社の株主が株主代表訴訟として行う場合が多いのですが、株主代表訴訟特有の問題にはあまり触れず、取締役はどのような場合に「責任あり」と認定され、どのような場合に「責任なし」と認定されるのか、という点に主眼をおいて解説していきます。
現に会社の取締役や代表取締役の地位にある方々の日常業務上の指針となれば幸いです。
なお、問題の核心部分の説明を鮮明にするため、事実関係の一部を捨象したり、判決文を表現を変えて記述することもありますので、この点ご了解下さい。

【中京銀行事件】 名古屋地裁、平成9年1月20日判決
中京銀行の代表取締役や平取締役(元を含む)12名が総額6億4000万円の損害賠償請求を受けた事案ですが、これはその後に続く銀行の取締役が善管注意義務違反に基づく損害賠償請求を受けた訴訟の初めての裁判例です。
結論としては、訴えられた取締役ら全員について、善管注意義務違反はなかった、損害賠償責任はない、という判決でした。
本件では、銀行の融資をめぐって、次のような取締役らの行為が問題とされました。
中京銀行は、A社に対し、平成元年から平成2年夏にかけて3回にわたり合計27億円の貸付けをしたが、A社は平成3年7月に倒産、6億4000万円が焦げ付いた。
中京銀行の取締役らがこれらの融資を決定した判断には次のような善管注意義務違反があった。
第1回貸付けについては、アメリカにある建物を担保として取ったが、これは処分が困難、管理も不便な担保であって、これによって融資を決定したのは不適切であった。第2回貸付けについては、利札が切り離された国債を担保として取ったが、この担保も不適切なものであった。第3回貸付けについては、すでにA社の経営状況が悪化していたうえ、同じく利札が切り離された国債のみを担保として取った。
これらの各融資は常務会において決定されたが、その席にいた取締役は、事情を十分審議せずに決裁した過失がある。
それ以外の取締役らも常務会のチェックシステムの構築を怠り、また融資決定に対し疑問を主張しなかった過失がある。
代表取締役はA社の経営状況悪化を知りながら適切な債権回収の方策をとらず、融資業務に関し従業員の監督を怠った過失がある。

【判決の判示】
まず、取締役が善管注意義務に違反したかどうかは、その取締役が職務の執行に当たってした判断につき、その基礎となる事実の認定または意思決定の過程に、通常の企業人として看過し難い過誤、欠落があるために、その判断が取締役に付与された裁量権の範囲を逸脱したものとなるかどうかによって決定される。
貸付けが結果として回収困難、不能となった場合であっても、その貸付けを行った取締役の判断をもって直ちに善管注意義務違反と断ずべきではなく、その判断に、通常の企業人として看過し難い過誤、欠落があるかどうかを、貸付けの条件、内容、返済計画、担保の有無、内容、借主の財産及び経営の状況等の諸事情に照らして判定すべきである。
第1回貸付けについては、その担保は不相当なものではない。
第2、3回の貸付けについては、担保が被担保債権額を下回っており、それを知りながら貸付けを決定した。しかし、A社は当時借入金の増加、利益率の低下が見られたものの、それは事業を拡大しつつあり、先行投資に力を入れている企業においては時としてみられる現象と言える。
A社の倒産の直接の原因は、平成2年後半から始まった金融引締めなどにあり、そのような事態は当時銀行において予見し得るものではなかった。
利札のない国債を担保に取ることは異例ではあるが、経営悪化からそうしたわけではない。
常務会は、担保割れになることを承知の上で、A社の業績、取引実績、将来性、銀行の国債取引におけるA社の協力等の政策的判断に基づいて融資を決定した。
このような意思決定の過程には通常の企業人として看過し難い過誤、欠落があったと認めることはできない。
従って、常務会に出席していた取締役らには善管注意義務の違反があるとはいえない。
常務会構成員でない取締役らについても、常務会に融資案件を専決させたことが善管注意義務違反であるという余地はない。
なぜなら、金融機関にとって通常の業務執行に属する融資をより機動性に富んだ常務会の専決に任せることは合理性があり、取締役としては、常務会の決定に違法または不当があった場合には取締役会の開催を求め、その是正を図ることも可能であった。
A社の経営状態が悪化したことが明かとなったときに、銀行はA社に増担保を求めたが、すでに担保余力がなかったのであるから、銀行に債権管理の手落ちがあったとはいえない。

【本判決の意義】
まず、融資が焦げ付き、そのために銀行が損害を受けたときでも、それだけでその融資を決定したり、実行した取締役らが善管注意義務違反の責任を問われることはありません。このことは当然のことです。
取締役らの責任は結果責任、無過失責任ではないからである。
過失、つまり払うべき注意を払わなかった、注意をして状況を把握し、まじめに検討すれば、その融資は行うべきでなかったことが容易にわかるにもかかわらず、それを怠ったという場合にはじめて善管注意義務違反があったとされるのです。
しかし、融資を行うべきか打ち切るべきか、という判断はそれほど簡単なことではありません。
担保が不足するから融資を断る、というのはもちろん単純すぎる話です。
そんなことを言えば、今問題の不良債権問題では、取締役の個人責任が問われない金融機関やノンバンクはほとんどないでしょう。
今十分な担保はないものの財務内容は悪くないという企業もあるし、企業としての成長性を評価して融資することもあります。
また、業績が悪化の傾向を示している場合でも、それだけで融資を断るべきということにはなりません。
追加融資で業績の回復を期待し得る場合もあれば、それすら期待できないが、今すぐに倒産させるよりも延命策に協力することによって、回収総額を多くし得る場合もあります。
また、本事例のように、融資そのものによる業務利益のほか、その企業と取引を継続することによってほかのメリットを期待する(海外進出の橋頭堡とする)場合もあります。
逆に、その取引先への融資を打ち切ることによるデメリット、例えば、その企業を直ちに倒産させ、社員の多くを失業に追い込む、連鎖倒産を引き起こす、などの事態についても配慮しなければなりません。
そこで、このようなデリケートな判断については、多くの具体的な考慮要素と考慮過程の当不当を裁判所が事後的に認定するのは適当ではなく、相当程度、取締役らの経営上の裁量に任せるべきである、というのが現在の判例、学説の多数説です。
そして、その裁量権の限界について、本判決は端的にその基準を示しています。
つまり「その取締役の判断の基礎となる事実の認定または意思決定の過程に、通常の企業人として看過し難い過誤、欠落があるために、その判断が取締役に付与された裁量権の範囲を逸脱したものとなるかどうかによって決定される。」
要するに「事実の認定または意思決定の過程に通常の企業人として看過し難い過誤、欠落がある場合」以外は過失責任を問われないのです。
かなり大幅な裁量権が認められているのと言えます。

(2001/05/20)
【伊予銀行事件】 松山地裁、平成11年4月28日判決
前回(中京銀行事件)と同種の、銀行による貸付けをめぐる取締役の責任が問われた事件を取り上げます。
伊予銀行が、平成2年から5年までの間、宅地開発業者A社に対し、総額約58億円の融資をしたところ、A社がその後倒産し、融資金のほとんどが回収不能となりました。
これについて、その融資を常務会において賛成し、実行した取締役、代表取締役ら7名に対し、善管注意義務違反があったとして、回収不能額約52億円の損害賠償請求がなされた事件です。
結論としては、中京銀行事件と同様、訴えられた取締役ら全員について、善管注意義務違反、忠実義務違反はなかったとして、損害賠償責任が否定された判決でした。

【問題になった取締役の行為】
本件においては次のような点が問題にされました。
本宅地開発のための土地買収は困難であったこと、A社が開発に必要な許認可を得ていなかったこと、A社はこれだけの大規模開発を手掛けるほどの企業規模も信用もなかったことなど、本事業には成功の見込みが立っていなかったにもかかわらず、取締役らはこれらの点につき十分な調査をしないで融資実行の判断をした。
融資の実行は開発許可を取得した後に行うべきであった。
担保として、A社が当該開発のために買収した土地に順次根抵当権を設定したが、開発対象土地は未だ価値がほとんどなく、別物件を担保に取るべきであった。
融資金の追跡調査を怠ったため、A社が融資金を流用していたことを発見できなかった。
継続していた融資を、融資基準に反して中途で打ち切ったため、A社を倒産に追いやり、融資金の回収を不能にした。

【判決の判示】
このような争点に対し、裁判所は次のように判示しました。
(総論)
取締役には、その職務執行において、企業経営の見地から社会経済情勢に即応しつつ流動的で多用な諸般の事情を総合して合目的的かつ政策的に判断を下すことが求められており、その経営判断には自ずと広い範囲の裁量が与えられている。
そうすると、取締役の判断につき、当時の社会情勢や会社の経営状況のもとで通常の経営者に求められる知見や能力を基準に、その基礎となった事実認識や意思決定の過程に看過し難い過誤や欠落があったと認められる場合には善管注意義務違反や忠実義務違反が問責されなければならないが、その職務行為が取締役に付与された裁量権の範囲を逸脱したとまでいえない場合には、結果的に会社に損害を生ぜしめたとしても、善管注意義務違反または忠実義務違反があったとして責任を問われるべきではない。
(各論)
この見地から、まず、A社の取引経過や事業実績によって、A社が堅実な業者であると評価したことが経営判断上の誤りであったとはいえない。
開発許可を得るにはその前に大半の土地を取得しておかなければならない事情があるため、その土地取得に必要な資金を銀行が開発許可前に融資することは不当とはいえない。
買収土地の担保価値は融資額に比して著しく低かったが、開発行為によって飛躍的に高騰することが見込まれていたのであるから、その状況での融資は不当とはいえない。
許認可については、市長から事前同意を得ていたのであるから、それ以上の調査を行う義務があったとはいえない。
融資金の使途について、宅地開発は長期にわたる事業であり、A社は従来の銀行取引実績から相当な信用を得ていたことから、融資金の使途を厳密に調査していなくても、通常の銀行経営者として看過し難い過誤や欠落があったとまではいえない。
その他、銀行にとって当時住宅関連事業は優良融資先とされていたこと、A社の業績は順調で社長の経営能力も高く評価されていたこと、本事業の成功により銀行としては住宅ローンの需要拡大等多くの利点が見込まれたことなどから、本融資決定に賛成した被告ら取締役の経営判断には、通常の銀行経営者として看過し難い過誤や欠落があったとまで認めるには足りない。
また、融資を途中で打ち切ったことも、A社に暴力団関連企業の関与や伊予銀行に無断での多額の約束手形の振出、融資金の流用、虚偽の融資申込等、多数の信頼失墜行為が重なっていたこと、A社の社長も事業を投げ出すような言動に及んでいたこと、いわゆるバブル経済の崩壊で土地住宅需要が激減するといった経済状況があったことなどから、融資の打ち切りが適当と判断したものであって、損害がさらに拡大することを防止するため融資を打ち切ることも銀行経営者として十分に考えられる対応であり、この点にも忠実義務違反、善管注意義務違反はない。

【本判決の意義】
この判決は、前回紹介した中京銀行事件判決ときわめてよく似ていることに気が付かれるはずです。
文言上も中京銀行事件判決がこの判決の下敷きになっているようです。
しかし、このような考え方は、いわゆる「経営判断の原則」として、表現の違いはありますが、それ以前からすでに判例に登場していたものです。
つまり、取締役の経営判断には広い範囲の裁量が与えられているのであって、それを逸脱するほどの低次元、無謀な過失(落ち度)がなければ、結果的に会社に損害を生ぜしめても、その責任は問われない、ということです。
この基準は今後とも取締役の責任が問題となる多くの事件において一般的基準になるものと思われます。
前に述べたように、近時、経済界や企業経営者は、株主代表訴訟や取締役の責任追及に対して過剰反応しているきらいがあります。
このままだと、警戒のあまり取締役のなり手がいなくなるとまで言う人もあります。
しかし、故意による違法行為(背任、具体的法令違反など)の場合を除き、経営判断上の過失(落ち度)はそれほど厳格に咎められることはないのです。
ところで、次回は、同種事案で、経営者が善管注意義務違反の責任(損害賠償義務)を肯定された判例を紹介します。

(2001/06/01)
【三福信用組合事件】 大阪地裁、平成12年5月24日判決
今回は株式会社の事案ではなく、信用組合の貸付けをめぐる事案です。
信用組合の経営者は取締役ではなく理事、また、その責任について規定している法律は、商法ではなく、「中小企業等協同組合法」です。
しかし、同法38条の2第1項には、「理事がその任務を怠ったときは、組合に対し、連帯して損害賠償の責めに任ずる。」とあり、会社の取締役の責任と同様の責任が理事に課せられています。
さて、三福信用組合は平成8年11月に大阪府知事から業務停止命令を受けて事実上倒産、平成9年4月に解散命令を受けた後、整理回収銀行(後の整理回収機構)に事業を譲渡しました。
本件は、その整理回収機構が原告となり、元の理事長、専務理事(理事長の長男)、常務理事(理事長の二男)らに対し、不適切な融資を決定し、実行したとして、善管注意義務違反による損害賠償を求めたものです。
(訴訟上はそれ以外の請求も含まれていますが、ここでは触れません。)
整理回収機構は、経営破綻した金融機関の旧経営者に対して同様の提訴をほかにも起こしていますが、本判決はその結果の先駆けというべきものです。
問題となった融資は、三福信用組合が、不動産の売買、仲介、管理及び信用保証業務等を営業目的としていたA社に対し、昭和62年から平成4年までの間、合計5回にわたって行った融資で、平成9年10月2日時点での貸付残金は3億2000万円でした。
A社はその後事実上倒産し、整理回収機構は、貸付残高のうち一部を担保権実行によって回収したうえ、回収不能となった約2億円について、被告らに対し損害賠償を求めたものです。
本件の上記大阪地裁判決は、本件融資を実行し、またそれをチェックしなかった被告らの行為は善管注意義務に違反するものであるとして、請求どおり、被告らに対し損害賠償を命じました。
つまり、前回までに紹介した判決と異なり、旧経営陣の責任を肯定する判決でした。

【問題になった取締役の行為】
判決において認定された事実および裁判所の判断は概ね次のとおりです。
1 各貸付けの当時すでにそれまでの融資残高が滞納となっていたにもかかわらず追加融資を行った。
2 各貸付けの当時、融資残高に対し、担保不足となっており、その不足額は貸付の都度増加していたにもかかわらず、あらたな物的担保も保証人も要求することなく追加融資を行った。
3 信用組合には法律上同一人に対する与信限度額が定められており、本件第2回貸付けの当時すでにA社に対する融資残高はその限度額を超えていたにもかかわらず、さらに追加貸付けを行った。
4 A社は通常の営業活動によって本件貸付金を返済することはほとんど不可能であり、返済はもっぱら借入金で購入した株式の値上がりに期待するほかない状態であった。
5 そのようなA社に対し、さらに株式投資資金を供与するために融資を行った。購入した株式が値上がりしたときは借入金の返済ができるが、値下がりしたときはたちまち返済ができなくなる。そのような危険をはらんだ融資は、多数の組合員から資金を集め、それを安全かつ確実に運用すべき信用組合の行う融資として許されない。
6 取得した株式を担保に供させたとしても、危険性が高いうえ、評価額において不十分である。
7 融資先に担保資産がなくとも、思い切って資金を提供し、中小零細企業を育成するという三福信用組合の経営理念「三福イズム」に基づき貸付けを行ったものであるから違法性はない、という被告らの主張に対し、裁判所は、その経営理念自体は評価できるが、本件のような規模、業績のA社が株式取引を行うための資金を融資することがその理念に合致するものと解することはできない。
8 被告の一人(常務理事)が、自分は融資の直接の担当ではないうえ、各営業店の責任者や審査部の審査を経た貸出稟議書を、書面上不備な点や不審な点がないかどうかを確認して決裁したにすぎない、と主張した点につき、裁判所は、貸付けを直接担当していなくとも、貸付審査会の構成員であり、融資の適否を判断しなければならない立場にあり、また稟議書の記載から、本件貸付けが大幅な担保割れであることを認識することができるから、責任を逃れることはできない。

なお、原告側の主張によれば、A社は元々被告理事長らが中心となって設立した会社であり、同人らは親族の一人(理事長の妻の父)をA社の代取に就任させたうえ、三福信用組合から融資をし、A社名義で株式投資や不動産投資を行っていた、という事情もあったようです。
但し、判決では、上記被告らが本件貸付けによってA社から私的な利益を受けたとは認定できないとしました。
また、本訴訟中、ここでは触れないと言った問題点として、上記被告らが、理事として損害賠償請求の被告となることを想定して、個人財産を親族に贈与した事実があり、裁判所はそれらの贈与は無効であるという判断を下しました。

【本判決の意義】
前回までに紹介した事案は、判決で、経営者に善管注意義務違反はなかった、と判断されたものでした。
それに対し本件は、業種として金融機関、行為として貸付け、という共通点があるものの、経営者に善管注意義務違反があった、と判断された事案です。
その違いを、融資を決定するに至った経営者の判断過程に着目して理解することが大切です。
つまり、いずれの場合も、結果として、貸付金は回収不能となり、金融機関に損害を生じさせたのは事実です。
しかし、経営に当たる取締役や理事が個人責任を問われるのは、その貸付けを決定した判断過程にあまりに不合理、不注意、恣意などの点が認められる場合であって、その範疇にはいらない限り、経営者の判断には広い裁量権が与えられており、結果の不首尾だけからその責任を問われることはありません。
三福信用組合の場合、A社に対し融資を繰り返した被告理事らの判断はどう考えても、誰の目から見ても、是認できないものではないでしょうか。
判決では認定されませんでしたが、むしろ三福信用組合もA社も、一体として被告ら親族が私物化していた。そして自分ら親族の財産保全に汲々とし、信用組合の健全性などはどうでもよかったのではないかと思わせるくらいです。
なお、善管注意義務に違反しているかどうかは、総合的判断であることも注意を要します。
本件においても、上記のいくつかの認定事実を総合してはじめて被告らの善管注意義務違反が明らかになってくるのであって、例えば、上記1(滞納があるのに追加融資を行った)だけ、または2(担保不足なのに追加融資を行った)だけで、融資決定の過程が善管注意義務違反だと認定するのは早計です。
そんなことを言えば、今の金融機関の取締役の大部分が損害賠償を命じられます。
経営判断が総合的判断、戦略的判断、政策的判断であることから、その経営判断が違法性を帯びるかどうかの判断も、そのような経営の本質を理解、斟酌したうえで、なお明白な違法性が認定できる場合に経営者の責任を問う、というのが正当なのです。

(2002/06/01)
平成14年5月1日施行の改正商法で、株主代表訴訟と取締役会の責任についての規定が変わりました。
今年度の株主総会の議案にも関係しますので、実務上理解しておくべき主な点について解説します。

1 株主代表訴訟に関する新しい規定

【監査役の考慮期間の伸長】
株主が取締役の責任追及の訴えを提起しようとする場合、まず監査役に対し、会社の名において訴を提起するよう請求しなければなりません。
請求を受けた監査役は、調査をしたうえ提訴するか否かを判断しますが、そのための考慮時間がおかれます。
従前その期間は30日でしたが、商法改正後は60日に伸長されました。
60日を経過しても監査役が提訴しない場合に、その株主は株主代表訴訟を提起できることになります。

【提訴されたときの公告または株主に対する通知】
取締役に対する責任追及の訴えが提起された場合(監査役による場合と株主代表訴訟による場合があります)、会社は、その訴訟に他の株主も参加できるよう、公告(所定の新聞など)または株主への通知(どちらでもよい)をしなければならないことになりました。
商法改正前にはそのような規定はなく、他の株主が訴訟に参加する機会が保障されていませんでした。

【株主代表訴訟での和解】
株主代表訴訟を起こした株主と被告取締役との間で和解(取締役が責任を認めて一定額の賠償金を支払うという)が行われることがあります。
商法改正によって、和解をしようとするときは、裁判所から会社に対し和解の内容を通知し、その和解に異議があれば2週間以内に申し出るよう催告することになりました。
被告取締役が和解金(損害賠償金)を支払う相手は会社ですから、会社にもそれなりの発言権を与えようという趣旨です。
株主に対しては和解について通知されることはありません。
催告を受けた会社が和解の内容に異議を述べた場合は和解はできません。
のちに述べるように、改正商法で取締役の責任減免手続も設けられた関係で、つまり賠償金額の目安ができたため、今後取締役の責任問題に関しては、和解による早期解決が促進される可能性が出てきました。

【会社による訴訟参加】
取締役の責任問題が取締役会決議の違法性・不当性に基づくとされるときは、会社の機関が批判の対象になっていることを意味しますから、会社も被告取締役に加担して、会社としての正当性を主張する必要が出てきます。
そこで、会社はこのような場合、株主代表訴訟において被告取締役へ補助参加することができる、ということが明文で認められました。
従前これができるかどうかは大いに議論の分かれるところでした。
但し、今回の商法改正で、会社が被告取締役へ補助参加するためには監査役全員の同意(大会社の場合、監査役会の全員一致の決議)が必要ということになりました。

2 取締役の責任減免手続

【法令または定款に違反する行為に限られる】
改正商法によって取締役の責任減免に関する規定が新たに設けられました。
取締役が「法令または定款に違反する行為」(商法266条1項5号)を行い、それによって会社に損害賠償責任を負う場合、その取締役が職務を行うにつき「善意かつ重大な過失がないときは」、所定の手続を経ることによって、一定の限度額において責任を免除することができることになりました。
減免されるのは上記の場合だけで、違法配当、株主に対する利益供与、他の取締役への金銭貸付け、利益相反行為等によって会社に損害を与えた場合はこの減免の対象にはなりません。

【所定の手続とは】
取締役の責任を減免する所定の手続とは、
(1) 株主総会における(3分の2以上賛成による)特別決議
(2) 取締役会の決議(あらかじめ定款変更が必要)
(3)(社外取締役の場合)責任限定契約(あらかじめ定款変更が必要)

株主総会にこの議案を提出するには監査役会の同意(監査役全員の同意)が必要です。
また、取締役会で責任免除決議を行うのは「その取締役の職務遂行の状況、その他の事情を勘案して特に必要と認める場合」であり、またその議案を取締役会に提出するときは監査役会の同意(監査役全員の同意)が必要です。さらに、減免の決議後、株主にそのことを公告または通知しなければなりません。

【異議が多い場合】
公告または通知によって株主から異議申立てがなされ、それが総議決権数の100分の3以上となった場合は、取締役会決議による免責はできなくなります。
その場合、改めて株主総会の特別決議による免責の手続を行うことは可能です。
しかし、それならはじめから株主総会の特別決議にかける方がよいとする考え方もあります。
また、取締役の責任追及の事案が発生したときに、株主総会にかけて免責を決定すればよく、あらかじめ定款変更することは適当でないとして、今年度の株主総会ではこの定款変更議案を提出しない会社が多いようです。

【賠償責任額】
新たに定められた取締役の賠償責任の限度額は、代表取締役についてはその年収の6年分、他の社内取締役は4年分、社外取締役は2年分です。
但し、この金額の算定には、過去及び今期(予定)の最も高い額を基準とするほか、退職慰労金や新株予約権の権利行使による利益なども斟酌されます。

【社外取締役との責任限定契約】
社外取締役については、会社とその取締役との間で、賠償責任を負うべき金額を一定限度とする旨の契約をあらかじめ締結しておくことができます。
そして、その契約による限度額と上記法定の限度額のいずれか高い方の金額を限度として責任を負うことになります。
社外取締役とは、その会社の業務を執行しない取締役で、過去にその会社または子会社の業務を執行する取締役や従業員になったことがない者を言います。
この責任限定契約に基づいて社外取締役の責任を減免した場合は、次の株主総会でそのことを事後報告しなければなりません。
なお、(3月決算の会社では)平成14年6月総会以降に選任される社外取締役はその旨の登記をする必要があります。

(2002/06/19)
最高裁平成12年10月20日判決
(原審は大阪高裁平成10年1月20日判決。最高裁はこの高裁判決を支持)

本件は、A株式会社(株式会社ネオ・ダイキョー自動車学院)の取締役5名が同社の株主から株主代表訴訟として損害賠償請求を受けた事件です。
A社が関連会社のB社から不動産を購入したところ、それが適正価格より高額であったため、A社は損害を被ったとして、この取引を実行したり、賛成したりしたA社の取締役らはその差額について損害賠償義務がある、として訴えられたものです。

【適正価格を逸脱した高額での不動産購入】
まず前提となる問題は、A社がB社から購入した不動産の価格が適正価格を上回る高額であったかどうか、という点です。
この点に関し、被告の取締役らは、購入時点では適正価格であった(裁判時点ではバブル崩壊の過程で下落していたが)、と主張しましたが、裁判中になされた鑑定などの資料からこの主張は認められませんでした。
したがって、以下の説明も本件取引が不相当な高額での不動産購入であったことが前提となります。

【自己取引】
次の問題は、この取引を実行したA社の代表取締役がB社の代表取締役も兼ねていた、つまり、売主の代表者と買主の代表者が同じであったという点です。
企業には多かれ少なかれ子会社、関連会社があり、親子会社間の取引、関連会社間の取引も珍しいことではありません。
また、同じ人物が関連会社の取締役や代表取締役を兼ねているということもよくあります。
しかし、ある会社の取締役(個人)がその会社と取引をしたり、会社が取締役に金銭を貸しつけたり、ある会社(本件ではB社)の代表取締役が自分が取締役を兼務している別の会社(A社)と取引をする場合は、これを「自己取引」とか「利益相反取引」といって、法律上の制約があります。
つまり、取締役会(この場合はA社の)において、この取引を行うことの承認を得なければならない、ということになっています(商法265条1項)。
このような法律の規定を無視して行われている取引も世間には少なくありませんが、それは法律違反です。

【損害が発生したときの責任】
しかし、取締役会の承認を経て、このような取引を行った場合であっても、もしその取引によって会社(今の場合A社)に損害が発生したとき(例えば、本件のように不当に高額であった場合など)は、その取引を実行した代表取締役およびそれに賛成した取締役は損害賠償の責任を負わなければならないことになっています(商法266条1項4号)。
取締役会の承認決議があればあと取締役に何の責任も生じないというものではありません。
ところで、この損害賠償責任が「過失責任」か「無過失責任」かが今まで判例・学説で争いになっていました。
つまり、不注意などの過失があった場合のみ責任を負う、という説と、過失がなくても客観的に損害があるというだけで責任を負わなければならない、という説が対立していました。
その点については、今回の判例で決着がついたようです。つまり、この責任は「無過失責任」である、ということになりました。
取締役にとっては厳しい法律、厳しい判断ということになります。
本判決に対し、企業グループ化が進んでいる現代社会にあっては、グループ企業間の取引についてはもっと寛大であるべきである、という批判がなされているのも一理あります。
それはそれとして、取締役個人と会社との取引、親会社と関連会社の取引、関連会社同士の取引などの是非が議題となる取締役会においては、安易に賛成しないなどの注意が必要です。

【責任免除の制度】
ところで、上記の責任がある、つまり自己取引によって損害が発生し、取締役らにその損害賠償責任がある、という場合であっても、その責任が免除される方法があります。
その会社の株主総会において、3分の2以上の株主が賛成して、責任を免除する旨の決議がなされればこの責任は消滅します(商法266条6項)。
ちなみに、この条件で責任が免除されるのは自己取引の場合だけで、それ以外の場合は、総株主の同意がなければ取締役の責任は免除できないことになっています(商法266条5項)。
本件におけるA社は実際に株主総会を開き、3分の2以上の多数決で本件取引による取締役らの損害賠償責任を免除する旨の決議を成立させました(本件訴訟の係属中でしたが)。
したがって、その限りにおいてはA社の取締役らは責任がないという判決になってもよかったのですが、実はそうはなりませんでした。

【取締役の善管注意義務】
前にも説明したことですが、商法266条1項には、何種類かの取締役の責任が列挙されています。
前記4号の責任(取締役の自己取引による損害の賠償責任)もその1つですが、そのほかに、5号で「その他法令または定款に違反する行為」が挙げられています。
これの代表例が「善管注意義務違反の行為」です。
つまり、取締役として会社に損害が生じないよう十分な注意を払うべきであるのに(善良な管理者の注意義務、略して善管注意義務と言います)それを怠ったために会社に損害を与えた、という場合は、その損害を賠償する責任があるとされています。
この責任は4号の場合と異なり「過失責任」です。つまり、損害が発生した場合でも取締役に過失がなければそれを賠償する責任はありません。
問題は、4号の責任(無過失責任)と5号の責任(過失責任)の関係です。
裁判において、被告取締役側は、自己取引による4号の責任が問われる以上(それはすでに免除されている)、重複して善管注意義務違反の5号の責任を問われるいわれはない、と主張しました。
しかし、本判決は、「取締役が自己取引によって会社に損害を被らせた場合、その取締役は4号の責任を負うほか、その取引を行うにつき故意または過失により善管注意義務、忠実義務に違反したときには、5号の責任をも負う。株主総会の免責決議は5号の責任までは及ばない。」と判示したのです。
そのうえで、善管注意義務違反があったかどうかを審査し、不当な高額でB社から不動産を購入した本取引についてA社の取締役らには善管注意義務違反があったと判断し、結局、決議に棄権した1人の取締役を除き、全員に損害賠償が命じられることになりました。

(2002/09/02)
大和信用組合融資事件

(第1審)大阪地方裁判所、平成13年5月28日判決
(控訴審)大阪高等裁判所、平成14年3月29日判決

【事件の概要】
この事件は、大和信用組合がマンション用地の開発業者である府民住宅グループ(株式会社府民住宅を中心とする5社)に対して行った融資がその後回収不能となったため、融資の決裁をした当時の大和信組の理事長、専務理事、理事兼審査管理部長が善管注意義務違反の責任を問われ、総額約6億円の損害賠償を請求された事件です。
原告はその請求権を譲り受けた整理回収機構です。
大和信組は平成10年に経営が破綻、平成11年1月、不良債権等を整理回収機構に、残りの事業を成協信用組合にそれぞれ譲渡し、解散しました。
本件の融資は、第1融資3,200万円、第2融資7,000万円、第3融資1億5,000万円、第4融資4億5,000万円、第5融資1億2,000万円とありました。
但し、元理事長は第1ないし第3の融資分を請求されていません。これらに関しては、金額的に直接理事長が決裁する立場になかったためです。

【善管注意義務と損害賠償責任】
信用組合の理事も、株式会社の取締役と同様、善良な管理者の注意をもって組合のために忠実にその職務を執行する義務を負います(中小企業組合法42条、商法254条3項、民法644条)。
そして、この善管注意義務に違反して組合に損害を被らせた場合はその損害について賠償する責任があります(中小企業組合法38条の2、1項)。

【経営判断の原則】
この点について第1審判決は次のように述べています。
信用組合の理事は、株式会社の取締役と同様、経営の専門家として、信用組合を取り巻く複雑かつ流動的な諸状況のもとでその任務を遂行するため、専門的な知識と経験に基づき、合目的的かつ政策的な判断を常に求められているものであって、その総合的判断を下すに当たっての理事の裁量はその性質上自ずから広い裁量が認められているというべきである。
したがって、信用組合の理事がした融資決裁上の判断により、結果的にその融資が回収不能となって組合に損害をもたらしたとしても、それだけで直ちに理事の善管注意義務違反があったということはできない。
融資時点で回収不能となることが相当程度予見され、又は予見され得べき状態であるにもかかわらず、十分な担保を取らずに融資を実行する等、その判断が信用組合の理事として著しく不合理なものであるか、もしくは不注意による事実誤認により、結果的に著しく不合理な判断を行った場合に限り、上記裁量を逸脱したものとして善管注意義務違反になるものというべきである。
そして、このような裁量の逸脱の有無を判断するに当たっては、融資の条件、内容、担保の有無・内容、借主の財産、経営の状況等を考慮することはもちろん、信用組合の経営状況、経済的社会的状況等の諸事情も含めて総合的に判断することが必要である。

【安全性の原則】
原告整理回収機構は、信用組合の理事は債権回収の安全性を第一に考えて融資すべき注意義務(安全性の原則)があると主張しましたが、これについて第1審は次のように述べています。
債権回収の安全性は理事の融資判断における重要な要素であるが、全くリスクのない融資だけを行っていたのでは信用組合の経営として成り立たない場合や信用組合の相互扶助の理念にも悖ることになりかねない場合も考えられるから、結局は程度問題というべきであり、上記のとおり裁量の逸脱の有無に帰着するものというべきである。

【大口融資規制について】
原告整理回収機構は、本件融資は大口融資規制(協同組合による金融事業に関する法律6条1項、銀行法13条1項)に違反しているから、それだけで善管注意義務違反になると主張しました。
取締役(信用組合の理事も同じ)の法令違反行為には経営判断の原則が適用されない、という判例の流れに沿った主張と思われます。
この点に関し、第1審判決は、この大口融資規制について検討した結果、その実質は行政指導を一般化・明確化したものにすぎないから、これに違反することが直ちに善管注意義務違反にはならないと判断しました。
ところが、控訴審判決はこれとまったく異なった立場をとり、次のように判示しました。
信用組合という性格上、財務体質を健全に保つ法的義務があり、その基準が明確化されている以上、理事の法令遵守義務に照らし、それに違反する融資は許されない。経営者の裁量権の範囲を逸脱するものである。
大口融資規制に反する貸付を決裁した場合には、その違法性を阻却する特段の事情が認められない限り、それだけで理事の任務に違反した違法な行為といわざるを得ない。
なお、府民住宅グループを一体とみた場合(被告らはこの点を争いましたが容れられませんでした)本件融資当時50億円前後の貸出残高があり、大口融資規制額は11億円前後ですから、著しく同規制に違反する状態であったことは明らかです。

【調査義務】
被告の一人、元理事長は次のような主張もしました。
理事長のもとへ上げられてくる稟議書は数多く、とくに融資案件については、審査管理部長や専務理事が可としたものが上がってくる。理事長としては、稟議書に記載されている事実関係は記載どおりで間違いないとの前提の下に(理事長自らが再調査したりすることは物理的に無理であるし、そんなことをしていれば組織が機能しない。)その記載内容を総合的に判断し、かつ必要に応じて審査管理部長や専務理事その他の理事長補佐役から口頭にて説明も受けたうえで、専務理事らがすでに可としてのであることから、否決すべき特段の事由が見当たらない限り、その稟議を可決することとしていたものであり、このような態度に任務懈怠は存しない、と。
これに対する第1審判決は次のとおりです。(控訴審では大口融資規制違反が決定的な判断基準になったため、この点は判示されていません。)
なるほど、各支店から上がってくる多数の決裁案件を処理しなければならない理事に、稟議書の内容を自ら逐一調査確認する一般的義務を課すことは苛酷であるといわなければならない。しかし、稟議書自体から、記載事実に疑いを差し挟むことが可能である場合には、自ら調査確認して判断の誤りをなくすことは、決裁を行う者の責務というべきであって、これを行わずに記載事実を前提に判断した結果、不合理な判断をする結果となった場合、その理事には善管注意義務違反がある。

【第1審の具体的判断】
第1審は、その独自の基準を前提に、第1から第5の各融資につき、理事たる各被告に善管注意義務があったか否かにつき、以下のように判断しました。
いずれの融資に関しても、その時点の債務者府民住宅グループの資力には相当程度不安があり、十分な担保があったともいえない。
しかし、第1ないし第3の融資に関しては、事業内容等を考慮すると、決定的に資力を欠く状態であったとはいえない。多少の担保不足は心配に足りないと判断したことについても合理的な理由があったと評価できる。融資を行わないディメリットも認められる。従って、これら融資を決裁した判断が、理事として著しく不合理であるとまではいえない。
しかし、第4、第5の融資に関しは、すでに回収が困難な状況に陥っていたことが明らかであり、融資額も多額であり、多額の担保不足が生じていた。従って、これらが回収不能となることは決裁時において十分予見されたものというべきであり、大口融資規制違反でもあり、資金使途、返済原資に関する審査が極めてずさんで、虚偽の記載まで行っていることなどを考え併せると、これら融資を決裁した判断が、理事として著しく不合理であるといわざるを得ず、善管注意義務違反があったと認められる。

【控訴審の具体的判断】
控訴審は、大口融資規制に違反しているという理由だけで融資は違法と考える立場から、その判断を覆すに足りるだけの事情(違法性阻却事由といいます)があるかどうかが焦点となります。
この点に関し、本件各融資が既存債権の回収のため必要不可欠であったとは到底いえないし、その回収に確実な当てがあったともいえないから、違法性阻却事由は見当たらない。
従って、本件各融資はいずれも理事として尽くすべき注意義務を著しく怠った違法な行為であるといわざるを得ず、被告らは債務不履行責任を免れない。
その結果、第1審判決と異なり、第1、第2融資に関しても、被告らの責任を認め、被告らにとっては第1審より厳しい判決となりました。

【損害額・賠償額】
第1審判決では第4、第5融資を対象に、それらの融資金額から返済額、担保物件の処分によって回収できるであろう金額を差し引いた金額を大和信組の損害として、被告らにそれと同額の損害賠償が命じられました。
控訴審では上記のとおり本件全融資が対象とされました。
対象が広げられただけでなく、損害額についての控訴審の認定基準も第1審と異なります。
融資が実行されたこと自体が債務不履行に該当する以上、各融資金額がこれによって生じた損害となる、と考えるのです。
もっとも、原告側で返済額等を控除した金額を請求しているので、実際にはそれ以上の金額を判示することはできませんでした。