執筆者:気まぐれシェフ
2009年12月15日

女性に対して「おとこまえやなぁ」と言うことがある。
外見ではなく、性格が男前という意味である。ほぉぉーよくぞ言ったというときや、バァーンとおごってくれたとき、みんながうだうだしている中でスパっと決断したときなどに褒めたたえる言葉として「おっとこまえやなー」と使うのである。
こう言われると、当人はハナ高々。「どーもどーも」とすこぶる上機嫌になる。

また、「おっさんやん」と言うこともある。
食事に行って「とりあえずビール」と注文すると「とりあえずってー、おっさんやん」のひと声がかかる。「そやな」
「エダマメと焼き鳥」「そう言う自分もおっさんやん」「そやな」
「ビールおかわり」「私ショーチュー」「みんなおっさんやん」「そやな」
とまあ挨拶がわりに軽くじゃれてからトークが始まる。
こちらは「おとこまえ」とは違い、お互いに心を開いていて、且つこういうノリが好きでなければ使用できない愛情表現である。以前のエッセイでも書いたが、私はおっさんぽいらしい。で、そう言われるとちょっと嬉しい。そんな女性が大阪にはけっこう存在する。
綺麗だね女らしいねと言われることはもちろん大歓迎である。お世辞でもいいからどんどん言ってほしい。でもそれだけじゃつまらないのだ。えてして、大阪の人間には真面目さより面白さを良しとする習性がある。ツッコまれイジられてこそ打ち解けたと実感し、そこに愛情を感じるのだ。せっかくネタ振りしたのに流されたとなると一気にテンションは下がる。綺麗?女らしい?ありがとう嬉しいです。でもそんな他人行儀な。今の状況やったらほかに言うことあるやん?ほらほら言ってみて。

難しいことに、「おじさんぽい」ではリアルすぎる。えっ、マジで男に見えるのか?とちょっと慌てる。しかも親しみ易さがまったく感じられない。標準語なんかで「きゃはは、おじさんみたーい」と言われたらそれは宣戦布告と受け取らせていただく。「おっちゃん」もだめだ。「おっちゃん」はホンモノのおっちゃんにかける言葉であって「おじさん」よりはマシだが妥当ではない。そこまでもっちゃりはしたくない。あくまでもサラリとした「おっさん」がベストなのだ。女心は難解なのである。
注意が必要なのは、「ほんもののおっさん」とか「おっさん中のおっさん」と言われだしたときで、いくらなんでももう少し女性側に戻っておいでという真剣な勧告である。
ちなみに、ホンモノに「なあ、おっちゃん」と声をかけると「なんや?」と答えてくれるが、「なあ、おっさん」と言うと「誰がおっさんやねん!なめとんかー」となるらしい。
本物には「おっちゃん」、女性には「おっさん」。ややこしい。

愛情表現でおっさんと呼ばれるうちはいいが、大阪には恐ろしい現実がある。大阪の女性は年齢を重ねるにつれ、かなりの確率で本当におっちゃんになってしまう。
自戒の念を込めて分析してみると。
まずは、髪が伸びる→手入れが面倒→ヘアスタイルを考えるのすら面倒→短いのがベストという図式で、短髪に落ち着く。一番人気はご存じパンチパーマである。アニマル柄に惹かれながらも派手すぎはいかがなものかという若いころの自制心が加齢と共に働かなくなり、さらにはちょっと崩れてきたボディラインを隠すにも迷彩柄のアニマルプリントは実に好都合。きわだつゴージャス感も魅力のひとつ。足元は、軽やかに動けてスリムに見えどんな服にも合うのでこれ1本でOKな万能黒スパッツ。
大仏ヘアで胸と背中に猛獣を従え、力道山よりもお似合いの黒スパッツ。これでまずは完璧な「大阪のおばちゃん」完成である。
そのうち「誰にも会わへんから」という意味不明な理由でノーメイクになる。会ってる私たちはどうやら数に入れてもらえていないようだ。次第に「おとーさんのジャンパー借りてきた」「息子のジャージ動きやすいわー」などと男物の服を平気で着だすと手に負えなくなる。そんな服装に短髪スッピンで歩きまわられた日にゃもう男にしか見えない。
いくら大阪人がツッコまれ好きのイジられ好きとはいえ、本気で男と間違えられれば激怒するに違いなく、この人はどっちなのかと悩んでしまう。
声で判断しようにも、しゃべりすぎなのか酒焼けなのか知らないがガラガラだみ声。しぐさで判断しようにも、おばちゃんぽいおっちゃんも意外と多く油断はできない。家族は注意しないのかと思うが、注意したところでおばちゃんたちが言うことを聞くわけがない。
そんなこんなでかつて少女だったおばちゃんは見事おっちゃんに変貌をとげるのである。
せめて口紅くらいはつけてもらえないだろうか。

家族でタクシーに乗り込んだとき。
「すみません、○○まで」「どの道で行きます?こっちのほうが近いと思うんですけどいいですか?」「それでお願いします」
よくある会話である。
「この辺も変わりましたねー」「あーそうそう、だいぶ開発されたねー」なんて、穏やかな会話が続いている。いい運転手さんに当たってよかった。感じ悪い人だったり、道を全然知らなくてなぜかナビをさせられたりすることもよくあるから、今日は当たりだなぁ。
そのうち、どこの角で曲がるのが近いか~なんてワイワイ盛り上がり出した。隣の母親は方向音痴のくせに偉そうに「次の角なんじゃないの」なんて口をはさんでくる。
「そんないろいろ言ったら運転手さんが困るやん。次の角曲がってください!」と、きっぱり言い切って無理やり会話を終わらせた。終わらせなければ危険だったのだ。私はハラハラし通しだった。
降りてから「今の運転手さんどう思った?」と聞くと、家族全員そろって「いいおじさんやったなぁ♪」
「・・・あのさ、あの人の名前見た?」「あ、名札見てない」「・・・ヨシエ」
「えっ!!!」
やっぱりね。会話をさえぎってよかった。ヘタしたら誰か「おじさん」と声をかけるところだった、あぶなー。
そして、ヨシエでよかった。
ヒロミだったら正解は永遠に謎のままである。