執筆者:イスラム建築マニア
2022年03月15日

ロシアも行けなくなってしまった。
こうして、ちょっと前には旅行に行っていたのに、もう一度行こうと思っても行けなくなってしまった国が増えてくる。
私の好きなイスラム圏のいくつかの国や地域はテロで行けなくなってしまった。そしてロシアは戦争。
21世紀だというのに。世界は全く平和に向かっていない!!

また来年行こうなんて思っていてもテロが起き、コロナが起き、戦争が起きて行けなくなる。
意外と平和な日々は続かない。
上司が変わる、習い事の先生が変わる、友人が病気になり遊べなくなる。
好きな店が閉店する、好きなテレビ番組が終わる、こんな日常の些細なことも案外続かない。

諸行無常。

私はいつからか常に諸行無常を感じるようになった。(トラウマになるような出来事はなかったはず。)
変わらないものはない、明日が今日と同じであるとは限らない。
悲観的なわけではなく、逆に何気ない日常を幸せでありがたいことだと感じるのが得意だ。。

よく、青春なんて後になってからあの時が青春だったんだと気付くことが多いと言われるが、私は大学生のときに「今こそ青春の真っ只中だ!」と毎日実感していた。
そして、諸行無常感のおかげで、こんないい時期は今だけだ、この時期を絶対無駄にしないようにしよう、記憶にとどめておこうと意識して暮らすことができた。
そして案の定、卒業して楽しい時期は終わった。

ほら、やっぱり普通のことではなかったのだ。
特別にいい時期だったのだ。
でも私はちゃんと初めから気付いていたぞ。後悔しないように過ごし、しっかり記憶にとどめたぞ。

これがくせになっている。
今の幸せに気付いて、日々幸せを意識して暮らす。無意識に過ごして失ってから後悔することのないようにしておくのが楽しくなった。
当たり前に思える日常は当たり前なのか、とても幸せなことではないのか、と常に考えるようになった。

好きな海外旅行にしてもそう。
働いて自由になるお金があって、同じ時期に休みがとれて、マニアックな国に一緒に行ける友人がいる。行こうとする国がそこそこ平和で、そして親の介護がまだ始まっていない。
こんな条件が揃っているのは実は奇跡なのではないか。そう気付いてこの奇跡の機会をできるだけ逃さないようにしてきた。
おかげで、「行っておいてよかった!」と思うことばかりだ。

愛犬との暮らしもそう。
昨年、愛犬が16才で老衰で亡くなった。
後で、ああしてあげればよかったと後悔しないように思いつく限りの全てをやった。我ながら完璧にやり遂げたのではないかと思っている。
愛犬と一緒にプロのカメラマンに写真を撮ってもらい、いっぱいありがとうを伝えたその日の晩に眠るように亡くなった。
亡くなった瞬間は悲しさよりも最後まで完璧にやり尽くしたという清々しさを感じた。後悔がなかった。悲しみが襲ってきたのは半日くらい経ってからだった。

何事も永遠でないのは仕方のないこと。
でも今の幸せを意識して後悔のないようにしておくと、いざ終わりがきたときに悲しさ、寂しさ、諦め、無力感よりも充実感、達成感を味わうことができる。
好きだと思ったことはとことんやっておく。
好きなテレビ番組が終わって残念なときも、全部録画してあれば「録っといてよかったー。」の気持ちが残念な気持ちを上回っていたりする。

今日ある日常が明日はないかもしれない。
すべては諸行無常。
南海トラフ地震が起きて、考えもしなかった明日を送ることになるかもしれない。
今日の何気ない1日を懐かしむ日が来るかもしれない。
平和で幸せな今日という日に、明日終わりがきても後悔しないために一体、何をしておこうか。

とりあえず愛犬(二代目)をかわいがろう。