執筆者:昭和芸能デスク
2006年07月15日

集中豪雨があったり、ミサイルが飛んできたりと何かと落ち着かない昨今ですが、ニュースなどを見ていると、韓国留学中に非武装地帯(DMZ・DeMilitarized Zoneの略)へ行ったときのことを思い出します。

まだソウルへ来て3ヶ月も経たない夏の最中、うだるような暑さのソウルとはだいぶ温度差のある、涼しい北部の都羅山近くの第3トンネルという所へ出かけました。一般的なコースのツアーに参加し、バスで回って石碑がある臨津閣、自由の橋へも行きました。

自由の橋とは、現在臨津江(イムジン川)を渡る唯一の橋で、1953年に休戦協定が調印された後、朝鮮戦争の捕虜1万3,000余人らが『自由万歳!』と叫びながら渡ったことから「自由の橋」と呼ばれるようになったそうです。
橋の途中は鉄柵で遮られていて、離散家族へのメッセージであろう文字がいっぱい記された布がいたるところに巻きつけてありました。
イムジン川という名に聞き覚えがある方もいらっしゃるかもしれませんが、『イムジン川』というタイトルの朝鮮半島の民謡があり、その川を象徴的に南北分断の悲しみを歌った曲で、日本でも何度かテレビ等で紹介されているようです。

第3トンネルは1978年10月17日に、文字通り3番目に発見されたトンネルとして、現在は観光客に公開されています。

第1トンネルは1974年11月15日に、ソウルから北西部に行ったところの京畿道 漣川にある高浪浦から東北側約8㎞地点の非武装地帯内において、第2トンネルはその第1トンネルよりも大きく、1975年3月19日に、同じく京畿道の議政府市にある鉄原の北方約13㎞地点の非武装地帯内から発見されています。
どれも首都ソウルを目指して掘られているもので、第1、第2トンネルはそれぞれソウルからわずか63㎞、101㎞しか離れていません。

私が見学した第3トンネルは、第2トンネルとほぼ同じ規模のもので、第1、第2トンネルの発見後、他にも休戦線全域で北朝鮮がトンネルを掘っているであろうということで、脱北者らの証言から探索作業が行われ、南北の共同警備区域(JSA)である板門店の南方約4㎞地点の非武装地帯内で発見されました。

このトンネルはアーチ形で、1時間内に3万人の武装兵力を浸透させることができるといいます。
私たち観光客は、ヘルメットをかぶってジェットコースターのような乗物に乗り、トンネル内地下100m以上の距離を下っていきました。
奥まってくるとアーチの高さもだんだん低くなってきて圧迫感があるので、決して閉所恐怖症や狭所恐怖症の方にはおすすめできませんが、やはり一度は見てみたい所です。
乗物を降りると、ほんの数メートル歩けるくらいのスペースがあり、外よりもさらにひんやりしていて、洞窟のような感じです。一番奥の壁にはダイナマイトの埋め込まれた跡が残っていました。
別段息苦しい訳ではありませんでしたが、降りて1分も経たないうちに早く地上に出たい心境になり、帰りの乗物に乗っている間は、ただただ無事にトンネルを出られることを祈っていました。

ともかく留学3ヶ月目にして貴重な体験でした。

ちなみに、第4トンネルが1990年3月3日に発見されています。