執筆者:気まぐれシェフ
2002年12月16日

趣味は? そう聞かれると私はいつも困ります。
音楽や映画、絵画の鑑賞は好きですし、本も好きです。絵を書くのも好きだし陶芸もキャンプも好きです。
しかし、コレといって打ち込みたいものがこの歳になっても見つからないのです(歳はヒミツ)。
ところが、最近になって、私は料理が好きかもしれない、と思うようになりました。
今までも好きは好きだったのですが、ヒマでかつ体力があり、お腹も減っている時しか作る気が起こりませんでした。これではただの気まぐれでしかありません。
が、少し前に否が応でも毎食作らなければならない事情ができました。
げげっ、私にそんなことできるかしら、と思いきや、これが実に楽しいのです。
仕事が終わって買い物に行き、帰り道に献立を考え、料理をし、後片付けをする。
朝も早めに起きて朝ごはんと昼のお弁当を作る。
料理の合間にササッと掃除と洗濯もできてしまったりする。
もちろん、今までぐうたらしていた体にとってはかなりハードなものがありますが、それでも楽しいのです。

では、何が楽しいか。
まず、買い物が楽しい。
物を買うという行為はある種のストレス発散となります。
しかも、特価のものを見つけた日にはものすごい得をした気分になれるのです。
その得がたった45円などであったとしても。
次に、ホクホクしながら戦利品を運びつつ考えるメニューと料理の手順。
これは、大げさに言えば対戦相手のいない「料理の鉄人」です。
目の前に突然現れた材料で、限られた時間内にうまい料理を作る。
この段階での構想が勝利の鍵を握るのです。となれば、俄然考える意欲も湧くというものです。
そして、実戦。
この時間は「無心」です。何も考えず、ただただひたすら材料をカットし、混ぜ、調味料を合わせ、焼いて、炒めて、煮て、蒸すのです。
最後に実食。
さあ、どんな味か。自分で自分に判定を下す時です。
自分で作ったもののなんとうまいこと! ただただ自分を褒め、舌鼓を打ちます。
ああ、それからまだありました。片付けです。
さっきまでの美しい盛り付けが幻であったかのような汚れた食器の山を見ると一瞬ゲンナリしますが、それもつかの間、スポンジをアワアワにした瞬間からまた無心の時間が始まります。
洗って、濯いで、拭いて。そして元どおり食器棚に並べ終えたとき、なんとも言えない達成感で私は満たされます。
この「無心」こそが趣味の真髄ではないでしょうか。
心や肩に背負ったいろいろなものを、その時間だけは完全に消し去ることができるのです。
そして無心の時間が終わってもその効果は持続し、たとえ身体的疲労が増していたとしても、精神的疲労は確実に減少しているのです。

このほかに、もう一つ私が料理を好きな理由をお教えしましょう。
それは、①自分の好きなメニューを②自分の好きな味で③好きな時に好きなだけ、心おきなく作ることができるからなのです。
私の場合、誰かに食べて欲しいとか、食べさせてあげたい、というような心美しいものではなく、「自分が」食べたいのです(モチロンどなたに召し上がっていただこうが自信はありますが)。
私は私の好みの味を当然わかっています。しかも、食べたいときに食べたいものを作れます。
例えば、家にいて突然スパゲッティが食べたくなる。
しかし、人にお見せできないようなヨレヨレの格好をしている。今さらおめかしする気力は無い。
遠くまで出かける体力も無い。お金も無い。材料だけはある。
こういう状況に置かれたとき、躊躇せずスパゲッティを茹でにかかる私は(ヨレヨレの格好のまま)、私にとって唯一最高の頼もしいシェフなのであります。
危うく餓死するところだった、ああ料理ができて本当によかった、と心から思う瞬間です。

料理とはなんと素晴らしいのでしょう。
ストレス発散と実益(お腹と心が満たされる)を兼ね備えているなんて。
しかも、レパートリーが増え続ければ、どこにも出かけず各国料理がいただけてしまうのです。
今はまだ「趣味」と言うにはおこがましいのですが、いつの日か「趣味は料理!」と言い切ることができるよう、修業を積んでいこうと思う今日この頃であります。