執筆者:イスラム建築マニア
2009年11月15日

最近、日も短くなり寒くなってきた。夏好きの私にとってツライ時期だ。
私は真夏が大好き。とくに梅雨明けから8月10日くらいまでの、暑さとセミの声で目覚める、あの時期が大好きだ。

おしゃれな人にとって、夏は嫌な季節だろう。化粧は崩れ、髪も汗でぺったり、日焼けはするし、暑くて重ね着も楽しめない。汗でせっかくのいい服もすぐ傷んでしまう。
幸い私はやせがまんしておしゃれをする方ではないので、暑くても平気だ。
中には、秋からのおしゃれに備えて、夏は捨てていると思える人も時々見かける。絶対日焼けしないように黒い大きなつばの帽子をかぶり、黒いタートルネックを着て、黒い長手袋にサングラス、さらに黒い日傘、夏を捨てているとしか思えないが、この格好も今や夏には定番(?)となりつつあるようだ。

そんな目の敵にされている紫外線だが、私にとって夏のまぶしい太陽光線はパワーの源である。直射日光も大好きだ。夏に太陽から充電したパワーで毎年冬を越している。
そして好きな音はセミの声。好きな花はひまわり。
青い空、白い雲、ひまわり、セミの声、遠くに海の匂い。最高だ。
でも、最も大好きな期間は2週間ほどで終わってしまう。

8月も10日を過ぎ、セミの声も少なくなるとボルテージは1段階下がる。
お盆に入り、夕立が来て、台風がきて一雨ごとに秋めいてくるとボルテージはさらに1段階下がる。
昔、お盆に北海道に旅行に行ったら北海道はすっかり秋だった。夏に暑い大阪を離れて北海道に避暑に行く。普通のことだろう。でも真夏が大好きな私にはせっかくの暑い夏を無駄遣いした気分だった。大阪に戻ると大阪はまだ暑かったのでホッとしたものだ。

お盆のころからは、いかにいつまでも夏気分を引き伸ばすかが重要だ。
お盆を過ぎてからは、朝からやかましいセミの声を聞けないまでも、公園で生き残ったセミの声を聞いて夏気分を保つ。
9月に入っても半袖で汗をかくうちは、まだ夏だと思いこんで過ごす。街には早くもファーを巻いたりブーツを履いたりする人が現れるがそれは見ないようにする。
10月にもなると世間はいい気候だと言うが、私にとって秋は冬に向かう下り坂だ。ボルテージはさらに下降線をたどる。いくら気候がよくても夏のように喜べない。衣替えの時期を過ぎてもしばらく半袖で過ごして夏気分を引っぱる。
10月も10日を過ぎると、そろそろ半袖も格好悪くなるので、その後は好きなF1があるうちはまだ夏だと無理やり自分に思い込ませて過ごす。1~2週間ごとに開催されるのでそれを楽しみにして10月をやり過ごす。
そして11月の第1週目から2週目にF1の最終戦を迎える。ここでいよいよ夏を引っ張るものが無くなり断念する。

ここから次の3月中旬のF1の開幕戦がくるまでの4ヶ月間は私にとっては冬眠の気分だ。冬は無きものとしてただ過ぎ去るのを待つ。
そして私は、今まさに冬眠中である。

今、冬眠しながら模索していることがある。
何とか冬眠しなくてもいいように、冬中夏の気分を味わい続け、気がつけばもう次の夏が近づいているという方法はないものか。
心は温暖化どころか常夏を求めている。