執筆者:スオミュージック
2022年02月15日

着なくなった服はリサイクルでさよなら。
着倒したTシャツやインナーは小さく切ってちょっとした拭き掃除に使ってさよなら。
本は、何度も読みたい気持ちが小さくなった作品はあらたな読み手の元へ旅立ちしてもらってさよなら。
かばんや靴もリサイクルはたまた寿命がきたらさよなら。
写真は気に入っているものだけ残してさよなら。
(写真を整理した日の夜は、記憶の整理よろしく、知ってる人知らない人いろんな人が夢に出てくる。普段夢を見ない=見た記憶がないので、眠った気がしなくて、とても疲れる。だから写真を整理するときは、相当の覚悟をもって挑んでいる。)

高学年の春に、なんとなく始めた日記。
当時は何事も「コツコツ続ける」ことが好きだったから、眠くても旅行に行っても、苦もなく高3の秋まで毎日書き綴った。
小学生日記はタイムテーブル風。事細かくその日の出来事が書いてある。アリバイを聞かれたら、自信をもって証明できる。その機会はなかったけれど。
中学生日記はバイリンガル風。ところどころに英語が登場。読み返すと一番恥ずかしい。真っ先に再生不能なまでに粉々にして処分せねばなるまい。
高校生日記はスパイ風。暗号か略字か、もはや解読不能。未来永劫、紫式部日記とか、アンネの日記のようなワールドワイドな日記に飛躍することはない。

自分で書いたものながら、子どもって忙しいし、大変だなあと他人事のように思う。子どもなりに悩みはあるし、いやなこともあるし、楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、精一杯出来うる限りで受け止めるしかない。
通勤の行き帰りにランドセルの子、制服の子を見かけると、思わず、おつかれさま、と心のなかで勝手に労っている。

疲れたとき、なんとなくむしゃくしゃしてるとき、お酒は呑まない。大人の特権は封印。それでもプハーッとしたいときは、三ツ矢サイダーかスプライトに助けてもらっている。

日記を始める少し前、西日本で大きな地震があった。それがきっかけだったかは記憶にないし、日記にも書いていない。日常と非日常のなにかを感じたのか。たぶん、当時愛読していた月刊漫画の付録に可愛い日記帳が入っていたから使ってみただけだろう。

全く記憶にない家族旅行、全く記憶にない学校行事。
人間は、記憶を自分の都合のいいように書き換えてしまうらしい。初心忘れるべからずで、さよならはもう少し先でもいいのかな。

今日のところは、まぁ、いいさ、ということで、日記たちは再びクローゼットの奥へ。
また、気が向いて日記を開いてしまうその日まで。さよならダイアリー。