魔女の一撃を食らった。
ぎっくり腰になった。
年末に風邪を引いた。熱は一晩で下がったものの、酷い咳が残った。
年末年始は咳との戦いだった。どこの病院に行って咳止めを貰っても止まらない咳。後に喘息ではないのに、喘息の治療にも使われるような吸入薬を貰い、ようやくこの咳は治まることになる。
年が明けても咳は止まらず、腹筋と背筋に筋肉痛のぼんやりとした痛みが続いていたある三連休中日の朝、目覚めると……起き上がれない。腰が痛い。痛過ぎて寝返りも打てない。これが噂に聞くぎっくり腰か。ついに私も……。
ベッドの中で考える。
まず、「ぎっくり腰」という名前がよくない。
腰に急な痛みが走ることから「びっくり腰」が変化した説が有力なようだが、今の私の腰の痛みはもっと仰々しい名前がついているべき痛みだ。
しかし、「魔女の一撃」というのも個人的には違和感がある。だって魔女と言えば魔法、すなわち特殊攻撃のイメージがあるのに、明らかにぎっくり腰は物理攻撃ではないか。私の想像する魔女は私の腰にタックルなどしない。
個人的には、「熊の抱きつき」とかの方がまだしっくりくる。自分よりはるかに図体の大きな熊に突然抱きつかれて腰骨を砕かれたらこんな痛みだろう。
まだ考える。仕方がない。本当に動けないのだ、考えることしかできない。
思えば、私は今まで他人のぎっくり腰に心から共感し、手を差し伸べてきただろうか。
脂っこいものを食べると胃もたれすることなんて、かつての私は知らなかった。自分の身に降りかかることはない、都市伝説とすら思っていた。でも今は知っている。心から共感できる。
ぎっくり腰も同じだ。自分はぎっくり腰にはならない、そんな根拠のない自信があった。でも今、ぎっくり腰の痛みを経験したことで、私はまた少し人に優しくなった。
まだまだ新参者ではあるが、ぎっくり腰サバイバーの末席に名を連ねる者として、ぎっくり腰に苦しむ者がいれば、できるだけのことは代わりにやってあげたいという気持ちが芽生えた。
年始早々にぎっくり腰になって苦しんだのも私の人生だ。良いことも悪いことも全て今の私を形作るもの。
そうやって毎日を生きている。今日もまた、見えない熊の腕が私を狙っている。