2021年08月01日

室町時代に活躍した能楽師、世阿弥の能楽論で、自己(演者)の目を離れて、観客の立場で、自分の姿を見ること、自分の演技について客観的な視点を持つこと、だそうです。

とある講演で教えてもらった言葉ですが、とても意義深く、実践的な考え方だと思っています。

自分自身の行動や考え方を、意識して、一歩離れて考えてみることで、冷静に状況を把握でき、自分の考え方の偏りが見えてきて軌道修正でき、次の一手が思い浮かび、進むべき道が見えてきたりすることがあります。

自分自身をよく見つめさい、と説教されれば、己を省みなさい、反省しろ、とあたかも叱られているような気にもなって窮屈です。
自分自身、好きなことをすればいいので、自身を離れて自分自身をみろ、というのは堅苦しい言葉のようにも思えます。実際、自分を律しなさい、ということを促す側面もあるでしょう。

しかし、この言葉は何も自分を戒めるだけのものではないことは、実際心がけようとしてみると、気が付いてきます。
つまり、あー困った、どうしようとか、他人の振舞いに腹が立って仕方がないとか、自分自身の至らなさが情けなくなるときも、意識的に、そっと自分を離れて、他人の目線で、自分の姿を見てみると、今は困っていても、今の能力でベストを尽くしているんだから、やむを得ない悩みではないかと思えて、自分自身を励まし、次の一手を見つけてみようという気になり、自分自身を救い出すチャンスが見えてくることがあります。
逆に、怒り狂っている自分の姿が、あたかも滑稽な姿に見えてきて、そんな仕様がないことに感情のエネルギーを費やしているのもよくないよ、と自分を諭すことにもなります。

このように観客の立場で見るがゆえに、自分自身を客観視して、広い視野、あるいは長い時間軸で物事を考えるきっかけが得られることがあります。

そこまで考えてみると、客観的に見るべきは、何も自分自身だけではない、ということに気が付きます。
弁護士が持つべき心構えはまさにそういうことで、トラブルに巻き込まれているクライアントや、あるべき状況を創り上げるべきクライアントに適切なアドバイスを与え、導こうと思えば、
そっとクライアントから離れて、客観的状況を把握することが非常に大事です。

もちろん、クライアントに寄り添って、親身になることも非常に大事です。他方で、クライアントと全く同じ視点で物事を考えるのであれば、弁護士としての価値がないし、実際的にもうまくいかないでしょう。
ここで気を付けるべきは、客観的な視点を持つといっても、裁判官と同じ思考になるだけではダメだということです。
クライアントの背景や悩み、個人ならその性格、考え方にも思いをいたし、状況を的確に把握して、そのうえでどうするのが進むべき道なのかを見つけ出し、おこがましいですが、救い出そうとする考えが必要でしょう。

寄り添って親身になることと客観的視点と両方のバランスが大事であり、その前提としてそれぞれ的確な状況把握ができていなければなりません。

このようなことが完璧にできるということはありません。どんな仕事もそうかもしれませんが、弁護士の仕事もやればやるほど、奥深さに気づかされるということがあります。
それでも、親身に寄り添って考えながら、そっと観客席から物事を把握するような意識を持つこと、自分自身からもそっと離れて自分自身を見てみること、その心がけを持つだけでも、少しずつ変わっていくのではないかと思っています。