2023年02月01日

昨年の8月29日に満60歳、還暦を迎えることになった。

私は、香川県仲多度郡琴平町(「こんぴら船々」でいうところの讃州なかの郡(ごおり)象頭山(ぞうずざん)金毘羅)で双子の弟として2000グラムに満たない低体重で生まれた。未熟児といわれた小ささで、幼年期までは夜になると発熱したりして両親には世話をかけたようである。その後は特に大病をすることもなく、水泳部員として才能はないもののそれなりに練習をし、まあ勉強もそれなりにして、県立丸亀高校、大阪大学、司法試験というコースを辿った。

弁護士登録をして6年経過したところで、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学ロースクールに留学したことは、当事務所のエッセイにも書いたとおりである。約3年間の留学を終えて法学修士の学位を得て帰国し、当事務所に復帰して約23年経過して、この度、目出度く還暦を迎えることになった。

以上が、私の人生の概略であり、それなりに楽しいものではあったが(まだ終わってないが、今ふりかえってみればということで)、命に関わる危機が一度だけあった。それは、バンクーバーに留学しているときのことである。バンクーバーの北にはウィスラー、ブロッコムというスキーリゾートがある。日本からも比較的行きやすく、また、バンクーバーオリンピックの舞台となったところでもあるのでご存知の方は沢山おられると思う。この二つのスキー場は並んであり、スキーコースの上の方は森林限界を超えているため木が生えていない。また、圧雪したコースを離れたところには氷河があり、氷河を滑り下りて麓にいたるようなコースもある。あるとき、妻とウィスラーで滑っていたが、日没前(緯度が高いために午後3時くらい)に最後の一本として頂上まで行って滑り降りようとした。その日はガスがひどくホワイトアウト状態で木もないので方向がわからなくなり、また下り斜面と上り斜面のどちらが本コースの方かわからなくなった。ふと前を見ると男性二人が下り斜面を行こうとしていたので後ろからついていくと、「ついてくるな。自分たちは装備を整えて氷河を滑り下りるのだ。装備がないと遭難するぞ。」(英語)というので、あわてて100メートルくらい下りていたのを上がってコースに戻った。あのまま後ろをついて滑り下りていれば、ホワイトアウト状態で日没を迎えて遭難した可能性が高い。当時は携帯電話を持っておらず連絡する方法もない状態となく、今でも思い返してぞっとするが、人生に一度くらいはこういう危機というのがあるものだろう(多くの人はそれを凌いでいる)と思う。

さて、還暦になったからといって特に大きく変わったことはないが、やはり外貌は徐々にではあろうが変化しているようである。先日、通勤の際にバスに乗ったところある若者に席を譲られた。ここで好意を拒絶するとその若者はこれから席を譲るのを逡巡するのではないかと思い好意に甘えることにしたが、少なからずショックであった。それから、涙もろくなってきたと感じている。特に映画館では、没入していることもあって気が付くとグシュグシュの状態になっていることがある。コロナ禍のせいもあり、還暦になってからは映画に行っていないが、号泣する準備はできているという感じである。それから、満60歳ということで年金をいただくことになった。弁護士会を通じて加入する国民年金基金の一部について65歳まで年額約4万円(その後増額)いただけるそうである。これは先送りができないということなのでよろこんでもらっている。

還暦を迎えてというか年齢を重ねてきたためと思われるが、ランニングをしていてランナーズハイになることがなくなったことは非常に淋しいことである。昔は7,8kmくらいを走っているととても気持ちよくなり、どこまでも走っていけそうな感覚を覚えることがよくあった。走り出しはそれなりにしんどいが、7,8kmくらいあたりから急に万能感を感じるようになったが、そういうことは全くなくなった。「昔はこうだったのに・・・」の一例であろうが、これからそういう淋しさを感じることが増えてくると思う。そこはそれなりに折り合いをつけていかなければならないが、そう簡単に慣れそうな気がしないのも心配である。ただ、トライはし続けていきたい。折しも2月5日は丸亀ハーフマラソンである。還暦ハーフマラソンにトライする。