2010年02月01日

よく言われることだが、年を取ると時間(月日)の経つのがやたら速いように感じる。
ついこのまえ正月だ、新年だと言っていたのにすぐに年末が近づく。少し前60歳だ、還暦だと言っていたのにもう68歳になった。ぼんやりしている間におそろしい歳になったものだ。
同輩たちとこういう話題になると、程度の差はあってもほとんどみな同様の感慨をもっている。
そして、いつ頃からこういう感覚を持ち始めたかについては、50歳前後からという意見が多い。
この時期はちょうど老いの兆しを感じたときではなかったか。老眼が始まり、顔のしわを発見し、腰痛を経験し、息子に腕相撲を負け、女性への関心がうすれ、ゴルフの飛距離が落ちる、などの現象が現れ始めた頃だ。この頃がターニングポイントかもしれない。

それにしても、なぜこの頃から時間(月日)が経つのが速く感じられるようになったのか。
一つ思い当たるのは、この頃を境にして、人生の残り時間を意識するようになった。それまでは、人生は無限であると思っていた。とくにそう意識しなくても何となくそう思っていた。それまでできていなかったことでもその気になればいつでもできると高をくくっていた。自分の能力の限界をわきまえていないわけではないが、それでも人生の限界を考えることはほとんどなかった。
しかし、ターニングポイントを通過したあとは、人生の終わりを意識するようになった。生まれてからの年月だけを考えていた人生観から、終わりまでの時間を計算するようになった。
その結果、残り時間がこれ以上少なくならないように、それが無理ならできるだけゆっくり進むようにと願うようになった。
ところが、そう思えば思うほど、時間は速く過ぎていく。ちょうど、昔学校で試験を受けていたときのように、あと10分しかないのに答はまだ半分しか書けておらずに焦ったとき、時計は秒針の音を高めてスピードを上げたものだ。
それと同じで、人生の残り時間が少なくなったことを嘆けば嘆くほど、月日はつれなく過ぎ去っていく。年齢を強く気にする人はそうでない人よりさらに一年の経つのが速いと感じる。まさに光陰は矢のごとく。
以上が、年を取ると時間(月日)の経つのが速く感じられる理由として私が思うところである。

ところが、調べてみると、この問題はつとにある心理学者によって答えが出されていることがわかった。そして、それは私の考えとはまるで違うものであった。
フランスの心理学者ピエール・ジャネ(1859-1947)が唱えた「ジャネの法則」と呼ばれるものがそれである。ちなみに、ジャネは「トラウマ」という術語を造語した学者であり、フロイトより先に「無意識」を発見した人物とされている。
「ジャネの法則」によれば、心理的な時間の長さは年齢の逆数に比例する。例えば、10歳のときの1年間は30歳なら4カ月に、60歳なら2カ月に感じる。年齢が2倍になれば時間の長さは半分に、年齢が3倍になると時間の長さは3分の1に短くなるというわけである。
なぜそうなるかというと、若い頃は何かと初めて体験することが多く、日々刺激にあふれている。だが年を取るにつれて人は経験や知識を蓄えて環境や生活に慣れてくる。つまり「新奇な現象と出会う数」が年齢と共に減少し、刺激や感動や新鮮さが薄まり、記憶の中身が淡く、単調になる。その結果、時間の速度が速く感じられるようになる、というのである。
日記帳のぎっしり詰まったページはゆっくりめくられるが、出来事が少なくほとんど記載のないページはささっとめくられるということだろうか。

「10秒を心のなかで数えて、ストップウォッチを止める」というゲームがあるが、このとき子どもは10秒を越えてから、老人は10秒になる前に止めることが多いという。子供はそのゲームに興味をもち短い間にいろいろ考えるので長く感じ、老人はこれしきのことで何も考えることはないので時間が速く感じられるということで、類似の心理的現象かもしれない。
また、「退屈な一日は長い」というのも実感であるが、これもジャネの法則と矛盾するわけではない。「退屈な生活は、一日は長いが一年は短い」と言われると、そうかもしれないと思う。

ところで、この「ジャネの法則」を知った今、逆に、時間が過ぎ去るスピードを遅らせる知恵もわいてくる。「新奇な現象と出会う数」が減少するのが悪いのだから、これを減らさないようにすればよいのである。日記帳のページをいっぱいに埋めるような生活をすればよいのである。仕事が好きならば仕事をすればよい。旅行に出かける、趣味に目標を設け日々その進歩を確認する、周辺の人にお節介をやく、花や野菜を育てる、ゴルフのレッスンを受ける、英会話の勉強をする、株投資を行う、服を(できれば車を)新調する、毎週違う仲間とホームパーティを開く、女性を誘っていろんなレストランを巡る、新聞に投書してみる、映画を見る、ブログを発信する、などなど。自分を鼓舞し、残っている勇気をふるい起こして、マンネリを打破し、刺激がいっぱいある一日一日を過ごせばよいのである。

最初に書いた私の説? 年を取ると人生の残り時間を計算するようになり、その焦る気持ちが時計を速く進ませる、という考え方、これも間違っていないように思う。「ジャネの法則」と両立できないわけでもあるまい。
そうであれば、逆説的だが、わが人生の残り時間をもう一度確認してみよう。何となく自分の人生は末期で、残り時間は少ないと漫然と思っていないか。本当はどれほど少なくなっているのかを正確に認識したほうがよい。それによって焦る気持ちを克服することができるかもしれない。
男性の平均寿命は79.29歳であるが、自分の残り時間を計算する場合、これから自分の年齢を引き算してはいけない。私は68歳の男であるが、68歳まで生きてきた人間の平均的残り人生は統計上「平均余命」として示されている。68歳の男性の平均余命は16.32歳。つまり、私は平均的には(平均寿命を越えて)84歳4カ月まで生きる。幸い私は平均人より頑健だから、確率的にはそれ以上に生きるはずだ。まだまだこれだけの時間が残っているのである。
また、人の一生を24時間として、自分は今何時頃にさしかかっているのかという計算をしてみるのもおもしろい。68歳なら、68×(24÷84)=19.43 つまり約19時(午後7時)30分というところである。まだ宵のうちである。夜中12時まで相当時間がある。もう1軒ハシゴして飲んで帰っても午前様にはならない。

こう考えると、自分の残り時間はまだそれほど気にするほどでもない、という気持になる。逆に、これからの16~17年間を退屈せずに消化するには相当積極的な活動を計画しないといけない、という考えにも至る。
その結果、「新奇な現象と出会う数」を増やす生活に舵を切れば、残り時間の少なさをいたずらに焦る気持ちを遠ざけることができ、同時に、「ジャネの法則」に抵抗して、時計の進行を遅らせることができるのではないだろうか。