本、書籍を追い出すことにした。
自宅のなかで主に私がつかっている一室は、その時々により「自転車部屋」であったり「趣味部屋」であったりしたが、近年は主に自宅執務のための仕事部屋にしている。
部屋においてあるものはクロモリのロードバイク1台、机(その時々により1~2脚)、椅子(同じく1~2脚)。バランスボール。このほかにこのほかに本棚や書籍類があったが、本が視界に入ってくることがなんだか気になる(邪魔に感じる)ようになってきた。
もともと本がたまってくると時折処分していたので、たかだか千数百冊。それなりのスペースをとるが部屋を埋め尽くすような量ではない。問題は本群の物理的な大きさではない様子で、なにが気になるのかをしばらく探ってみたところ、どうやら本は開かずとも文字情報として目に入ってくるようだ。
本棚にならぶ本の背表紙の文字が目に入ると、人間はその文字情報を無意識のうちに処理しなければならない。本は「積ん読」だけでも意味があるなどという人があるが、それと裏表のことかもしれない。
しばらくは本棚が視界に入らないような向きに机をおいて対処していたが、もう少し根本的に対処してみることにした。
まずは本を減らす
もともとある程度本がたまってくると不定期に処分していたが、改めてそれを実行することにした。文庫、新書はある程度残しつつ、それより大きく背表紙が目立つ四六判、A5判以上のサイズの本はできるだけ処分する。2~300冊が残りそうだが、もう少し減らしたい。
しまう、収納する
業務上参照する法律書などはクローゼットのなかにしまっておく。扉を閉めておけば目に飛び込んでこない。調べものをするのに不便ではないか?と聞かれることがあるが、文献に頼るまえに自分で考えたり、法律のことであればまず条文にあたるということが大事なので、文献など不便なところに追いやっておけばよい。
追い出す、移す
生き残った本も仕事部屋からは追い出してほかの部屋におく。本棚をウォークインクローゼットにおいたり、子どもの「おもちゃ部屋」において親子の本を混ぜこぜにならべてみたりと試行錯誤中。
今後にむけて
いったん本を減らしても、いつかまた、いつのまにか、本は増える。それ自体は仕方がないこととして、今後は本を買い求めるとしてもできるだけ文庫や新書にしようと思う。
また、電子書籍の利用を一時期やめていたが、改めて見直してみたい。
観葉植物をおく
本と本棚をどけて部屋のモノがすくなくなった。気分がよいがすこし殺風景なので、観葉植物をおいてみた。サンスベリア、アレカヤシ、青年の樹など。
本とちがって視界に入ってきても邪魔にならない。
生き残った本を、私なりの分類で眺めてみると「ランニング本」、「歴史本」、「スタートアップ本」、「文学作品」、「新書いろいろ」が多い。
「ランニング本」ではたとえば次のようなものが生き残った。
クリストファー・マクドゥーガル「BORN TO RUN」
リジー・ホーカー「人生を走る」
スコット・ジュレク「NORTH 北へ」、「EAT&RUN」
マイケル・クローリー「ランニング王国を生きる」
原作/監修・小田伸午、脚本/画・三ツ井磁之「マンガでみるスポーツ科学 速く走るコツ」
ジョー・ヘンダーソン「ランナーのメンタルトレーニング」
瀬古利彦「マラソンの真髄」
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」 ※1
近江俊秀「道が語る日本古代史」 ※2
など。
「走ることについて語るときに僕の語ること」は文学作品に分類するかすこし考えたが「ランニング本」とした。
また、「道が語る日本古代史」は、旧街道を走るための予習として参照するので「歴史本」ではなく「ランニング本」とした。
似たような分類に「自転車本」「トライアスロン本」「水泳本」があるが、ランニング本にくらべて生き残ったものはすくない。ただ、次のものは文学作品として生き残った。
ランス・アームストロング「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
タイラー・ハミルトンほか「シークレット・レース」
近藤史恵「エデン」「サクリファイス」などの自転車小説
「歴史本」では日本史ものの文庫、新書が多く生き残った。
本郷和人「権力の日本史」「日本史を疑え」「空白の日本史」など(かなり多い)
関裕二「ヤタガラスの正体」「おとぎ話に隠された古代史の謎」
河合敦「殿様は明治をどう生きたのか」
中公新書編集部編「日本史の論点」
呉座勇一「陰謀の日本中世史」
など。
世界史を含めてこれから増殖していきそうな分類。家康本はここでは割愛。