2019年07月01日

デジタル技術の進歩は目覚ましいものがあります。しかし、この表現もすでに陳腐な言い回しなのかもしれません。
正直なところ、私もあまりこうした技術には詳しくはありません。感覚的には「デジタル」という表現は、アナログという言葉との対比で利用されることが多いように思います。こうした分野の最先端にいる方からすると、「デジタル技術」という表現をすると、一体いつの時代の話をしているのだとお叱りを受けるかもしれません。一般的に「デジタル」という言葉が普及し始めていったのも、携帯電話、インターネット、テレビの接続方式がアナログからデジタルに順次切り替わっていく過程だったのではないかと思います。携帯電話が1990年代半ば(2G)、インターネットで2000年ころ(ISDN回線)、テレビが2011年ころ(地上アナログテレビジョン放送の終了)でしょうか。カタカナ用語を避ければ「通信技術」という方がしっくりくるかもしれません。しかし、デジタル化の波は通信技術に限らず「デジカメ」、「デジタルオーディオ」とも使用もされます。人間の五感(視・聴・嗅・味・触)をデジタル化するための格闘であったと言うべきかもしれません。

私も、こうした技術に関心はあるけれども、なかなかついていけない部分があるというのが正直なところです。もう20年近く前になると思うのですが、通信技術の発展を実感したのは、初めてパソコンを買い、インターネットにISDN回線で接続したときです。BCCやCNNのニュースを聞いたときに本当に身震いするくらい感動しました。当時はまだ回線速度が64kbpsとか128kbpsでしたので、画像はほぼモザイク状でみられる代物ではなく、音声もノイズが入るけれども聞こえるという程度でした。しかし、当時の情報収集手段としては、新聞、テレビ、書籍に限られていた時代です。それがインターネットを通じて世界のその日の出来事が新聞やテレビに縛られることなく、また検索すれば自分の知らなかった情報ソースにそのまま接触できるという体験は衝撃でした。そのころから関心を持ち情報収集するようになりました
しかし、現在ではそれが今やパソコンなどという大がかりな道具を持ち出さなくても、スマートフォンでそれ以上の環境が実現します。当時私が購入したパソコンがデスクトップで、確かCPU400MHz、HDD10GB、メモリ512MBで20万円を超えていました。こうしたスペックだけみても現在の携帯電話の性能はこれを上回っています。まさに隔世の感といいたいところですが、それほど時間が経っていないことにより驚きます。これまでの個人による情報収集手段が劇的に変化していることは否定できません。

他方で、官報に掲載されている情報を悪用した「破産者マップ」というサイトが問題になりました(現在は閉鎖されています)。また、中国は、日本よりもソフトウェア技術を積極的に取り入れているといって良いと思いますが、今回の香港デモでも鉄道を利用する際にICカードを利用してしまうと自分の位置情報等が特定されるリスクがあるとしてアナログの券売機に行列ができたこと、また顔認識技術により国家にリスト化される危険があるとしてデモに参加する人はマスクやメガネ等をかける人もいるという報道もありました。デモをはなれても、「map of deadbeat debtor」(債務滞納者マップ)というアプリもあると聞いています。こうしたサービスが日本で提供されないように願いたいですが、国家による管理の手段として便利であるだけに副作用も強く、どこまで許容されるかという問題は残っているのでしょう。

最近は、ハードからソフトの時代に変化しているようにも思われ、最低限の基礎知識を抑える程度でもプログラムの勉強を始めようかと考えている今日この頃です。小学校でプログラミング教育が必修化されるという話もありますので、息子に父としての威厳を見せなければ、という二次的な目的もありますが。