特捜証拠改ざん事件の原因

 片井 輝夫

2010年12月01日

<ポイント>
◆特捜部証拠改ざん事件は、裁判所にも大きな責任がある。
◆検察庁は、真実の発見より有罪判決を得ることを優先し、多少の行き過ぎを是とする体質がある。

大阪地検特捜部検事による証拠改ざん隠ぺい事件という衝撃的ニュースは、国民の検察に対する信頼を大きく揺るがし、権力者の犯罪や巨悪の摘発に貢献していると思われていた特捜部が実は虚構の筋書きで事件をでっちあげる集団であったとの印象を与えました。この事件の原因について、様々な角度から分析されていますが、私見を述べてみたいと思います。

我々法曹三者は、司法試験合格後、司法研修所で刑事裁判、検察、民事裁判、民事弁護、刑事弁護の全分野の実務研修を受けます。三十数年前、司法研修所で研修を受けたころ、「強気の刑裁」ということがよく言われました。「強気の刑裁」とは、刑事裁判において有罪か無罪か迷う場合は、強気に認定して概ね間違いがないという教えというか教訓です。刑事裁判修習では、現実にあった事件の記録冊子を教材として与えられ判決文を起案するという練習をします。教材となる事案は、有罪か無罪か微妙な事案ですので、判決起案が有罪と無罪に結果がわかれてもいいのですが、「強気の刑裁」という暗黙の教訓が働き、卒業するころには、ほとんど全員が有罪判決を書くようになります。修習生は、そういう教育を受けて裁判官として任官していったのです。したがって、裁判官には、判断を迷う事件でも有罪判決を書いていればまず大きな間違いではないという心理が働いているのです。そして、刑事裁判官は、有罪判決を書いている限り、裁判所の中で無能とは見られないのです。有罪率99・9%という数字は、そのことを如実に物語っています。

現実の刑事裁判では、被告人が一旦検察官に自白調書を取られると、法廷でこれを覆すことはほとんど不可能といっていいくらいです。また、参考人が検察官の取調べで、検察官の作ったストーリーの調書に署名してしまうと、公判でこれと異なる証言をしても、検察官作成の調書(検面調書といいます)が証拠として採用されます。そして、裁判所は、多くの場合、検面調書のほうが記憶の新しいときの調書であるとか、迫真性があるなどとして、公判での証言より検面調書に記載されていることを真実であると認定することが多いのです。こうして、裁判所は、検察官の筋書きとおりの判決を書き、検察官は多少無理筋な事件でも有罪判決を得られたという経験をしていきます。次第に、検察官が、一旦検面調書を採ってしまえば勝ちだという意識になっていくのはある意味当然のことなのです。特捜部の扱う贈収賄事件などでは、証拠が関係者の供述証拠が大半ですので、さらにこの傾向は強いと思います。

また、検察庁では、多少無理な方法で調書を作っても、当然のこととして許されています。刑事裁判で、検察官が作成した自白調書が証拠として採用されない場合も稀にありますが、証拠として採用されないということは、検察官が威嚇的、利益誘導などの違法な方法で調書を作成したことを裁判所が認めたことです。しかし、こういう場合で、取り調べを担当した検察官が、取り調べ方法に違法な点があったとして懲戒処分を受けたという話を聞いたことがありません。厚生省局長事件でも、多数の検面調書が証拠不採用になったようですが、これらの検面調書を作成した検察官は、処分を受けていません。これまで、検察庁は、裁判所が違法な取り調べだと認定しても、裁判所が誤った認定をしているという立場で押し切っていたし、内部で追及することなど全くなかったのです。

このように、検察官は、有罪判決を獲得することが至上命題であって、そのために行き過ぎた行為をしても、検察庁が庇っていたのです。実際の刑事弁護を担当していると、検察官が冤罪であることを知りながら公判を続けていると思える場合すらあります。これが検察庁の持つ体質です。こういうことが積み重なり、次第に、検察官が客観的真実を発見するために捜査立件するのではなく、事件を作り上げていくという意識を持ち始めるのです。検察官が自分でストーリーを作り上げ、それに沿った事件にしていくということになってしまい、自ら証拠を改ざんし、あるいは証拠をねつ造するというところに向かうことになります。

本来、刑事裁判所が、検察官の行き過ぎた捜査で収集された証拠を排斥することにより、検察の暴走を掣肘すべきなのですが、裁判所は検察に追従しており、この機能をほとんど果たせていません。裁判所は、この特捜部証拠改ざん事件を他人事のように見ていますが、裁判所こそが、反省すべきなのかもしれません。また、最高検察庁はこの事件を大阪地検特捜部の一部の特殊な検事が犯した不祥事という位置づけをして、摘発側に回って自分だけいい子になろうとしています。最高検のあまりのやり方に、言いようのない不気味さを感じるのは私だけでしょうか。