パイロットの刑事責任

 片井 輝夫

2004年06月01日

【はじめに】
最近、医師、パイロット、登山ガイドなど人命を預かる専門職に対する刑事責任の追及がなされることが多くなりました。
これまで、これらの職種においては、司法が踏み込めないいわば聖域のような感がありましたが、過失態様によっては、刑事事件として訴追される可能性が高まっているといえます。
ところで、航空機事故においては、気象、機体の制御システムや制御機器の故障、航空機の特性、管制指示、パイロットの操作内容など、複雑な要素が絡み合う場合が多く、原因の特定が困難なケースもあります。
また、短時間に決断して差し迫った危険を回避しなければならないパイロットに、どの程度の義務と能力を求めればいいのかという困難な問題が生じます。

【エアーラインパイロットに関する2つの刑事事件例】
(1) JAL706便事故
ひとつは、JAL706便の事故です。
平成9年6月8日発生したもので、JAL706便(MD11機)が紀伊半島上空約5,200mを降下中、突然、自動操縦装置が切れ、その後激しい上下動が起こり、乗客、乗務員180人のうち、シートベルトを締めていなかった(ベルト着用サイン表示中)乗客1人、乗務員3人が重傷(その後1人が死亡)、8人が軽症を負った事故です。
この事故は、機長が操縦桿を強く引いたために自動操縦装置が解除され、これにより機首上げが起こり、それを立て直そうとして操縦桿を操作し続けたことにより、激しい上下動が起こったとして、検察側は、時効直前に、機長を起訴しました。
しかし、自動操縦解除は、機長の操作によって起こったものではなく、別の原因で起こった可能性が、また、その後の航空機の上下運動は、機長が速度を落とすためにエアーブレーキを立ち上げたことから、尾翼に乱れた後方気流があたったことが原因である合理的な疑いがあります。
したがって、機長の不適切な操作によるのではなく、当該航空機の飛行特性が原因である可能性があります。
この事件は、本年7月に判決が言い渡される予定のようですが、無罪の可能性が高いといえますし、航空機事故原因の特定が、航空機事故調査委員会という専門家による調査によっても非常に困難であることを示す事例といえます。

(2) JAL907便事故
もうひとつは、平成13年1月31日午後3時55分頃、静岡県焼津市上空で、羽田発那覇行きJAL907便と釜山発成田行きのJAL958便が距離にして100数十メートル、高度差にして20~60メートルに異常接近(ニアミス)し、907便の乗員乗客計83人が重軽傷を負った事故です。
このニアミスは、まず管制官のミスで始まりました。
東京航空管制部の管制官2名が、907便と別の便との接近を回避するための交信中に、958便の存在を失念してしまい、907便と958便が接近し始めました。
さらに、管制官が、両機を回避させようとして958便に出すつもりの降下指示を誤って907便に出し、907便がこれに従って降下し始め、958便とさらに接近することになったのです。
そして、907便が指示に従って降下し始めたところ、907便のTCAS(衝突警告装置)が上昇を指示したのです。
つまり、管制とTCASから相反する指示がなされたことになります。
907便の機長は、そのまま管制官の指示に従って降下を続けることを決断し、一方、相手機である958便のTCASは、当然降下を指示していたために、同じように降下していきました。
このために、両機は、さらに異常接近してしまいました。
907便の機長は、最後は、相手機を目視しながら急降下し、958便の下をくぐるようにして衝突を回避したのです。
このようにして、衝突という最悪の事態は避けられたのですが、907便は、急激な降下操作のため、逆Gが起こり、乗員乗客、ギャレーカートなどの機材が機内で宙に浮き、その後落下して多くの人が負傷しました。
警視庁東京空港署捜査本部は、この事故に関して、907便の機長と、管制官2名を業務上過失傷害、航空の危険を生じさせる行為等の処罰法(過失犯)違反容疑で書類送検していましたが、東京地検は本年3月30日、両機の管制を担当した管制官2名を業務上過失傷害の罪で在宅のまま東京地裁に起訴しましたが、907便の機長については、嫌疑不十分で不起訴処分としました。
907便の機長が、TCASが上昇を指示していたのに、これを無視して管制官の誤った指示に従って降下を続けたことに過失があるのではということで送検されていたものとみられます。
管制官は過失を認めていましたが、機長は、過失を否定していました。

【パイロットの過失責任】
危険な事態に陥った場合、人は、まず現状を正確に認識し、事態の原因を把握し、これに対する適切な処理方法を判断し、その処理を間違わないで実行するという手順を踏みます。
しかし、多くの場合、人は、事態の認識と原因の把握に非常に時間がかかります。
こういう場合、人は、立ち止まって、状況を認識しようとするのですが、高速で飛んでいる航空機では、これが不可能です。
また、その時間的な余裕もありません。こうなると、やはり、パイロットの長年に亘る知識と経験によって培われた瞬間的な判断、いわば勘に頼るほかありませんし、それが、仮に最適な方法でなかったと後日判明したとしても、そのことで刑事責任を追及するのは、やはり酷な感じが否めません。
907便の機長は、降下から急激な上昇をすると失速する可能性もあるため、TCASの指示にあえて逆らい、「このまま降下しますと副操縦士に声をかけて降下を続けた。」と述べています。
航空機で事故が発生すると、なんらかの形で責任者と思われるものを処罰しなければという心理が働きますが、パイロットの刑事責任を問う場合、単に、マニュアルに従った行動をしなかったという1点だけをとらえて、結果責任を問うのは、誤った結果を導き出すことになりかねません。
その意味では、907便の機長を不起訴としたのは、妥当な判断だと思われます。
また、706便機長を起訴したのは、やや検察の勇み足の感があり、907便の機長を起訴しなかったのも、その反省を踏まえたものであろうと思われます。
現在、航空機メーカーでは、コンピューターの判断と人間の判断をどのように調和させるかという設計思想を巡った大きな岐路に立っています。
今後、メカニック面での進歩に伴い、機体の設計ミスか、不可抗力か、パイロットの過失かという判断は、さらに困難なものとなっていくものと思われます。