執筆者:昭和芸能デスク
2016年08月15日

「歌姫」と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか。
私の中の「歌姫」というと、マレーネ・ディートリッヒ、エディット・ピアフ、マリア・カラス、江利チエミ、美空ひばり、ホイットニー・ヒューストン…。
恋愛沙汰から病気、アルコール、薬等々、トップスターゆえの孤独を抱えながら、もしくは逆に多くの人がスターゆえに群がり、家族や周囲の裏切りやトラブルなどに巻き込まれ、ややもするとダーティーなイメージがつきまとうちょっと哀愁漂う影のある歌手を思い浮かべます。
華やかなスポットライトを浴びる一方、光と影ができてしまうものなのかもしれませんが、そんな中でも、際立って明るさだけを放っている歌手がいます。
松田聖子です。

以前、同時代のアイドル中森明菜論を書きましたが、明菜は聖子とは対照的でまさしく私がイメージする影のある「歌姫」です。
一方、デビューからずっと30数年白いドレスやピンクのフリフリを身につけられる人は松田聖子をおいてそう多くはいないでしょう。
もはや、あちこちでコラボする猫のキャラクターと同じ域に達しています。
そんなずっとトップアイドルとして活躍しているのに、なぜか松田聖子には「歌姫」の悲哀を感じません。

もちろん、彼女が清く正しく生きてきたわけではなく、マスコミを騒がすいくつかのスキャンダルもありましたし、その度にマスコミに追い回され、バッシングの嵐が吹き荒れていた時代もありました。
そんなスキャンダルも、歌手としてのステップアップや自身の英語力を高めるため…と割り切っているのではと思わせるほど彼女に悲壮感はありません。
デビュー当時ですら、新人賞受賞時にうそ泣きをしているとか、かわいこぶりっ子と揶揄されていましたが、こうした世間にたたかれていながら、なぜか松田聖子には暗いイメージはなく、アイドル「聖子ちゃん」としてのイメージとその地位を保ってきたのはすごいの一言に尽きます。
特に10代・20代の若い時期に叩かれると、大抵の人はへこたれてしまうでしょう。ゆとり世代にはありえないかもしれません。

なぜ、松田聖子はこんなに強いのか。

80年代後半、アイドル全盛期に結婚、出産、復帰と彼女は自分の思う通りに進んできました。
まだステージにマイクを置いて引退する美学が尊ばれる百恵神話の根強く残る歌謡界、なんとなく世間の風も冷たかったように記憶しています。
『いつまでアイドルとして出るつもりなのか』という冷めた目を気にすることなく、復帰後も自分のやりたいようにやってきた姿がやがて彼女への賞賛に変わったのでしょう。
考えてみると、男女雇用機会均等法の制定など80年代後半から外で働く女性が増えたのも、彼女への支持につながったのかもしれません。

本人としては、全米ヒットランキングでも上位になりたいなどの不満や彼女なりの挫折があるかもしれませんが、そうはいってもアメリカ進出も果たし、有名俳優や医師と計3度の結婚と、やりたいことは全部やってきたという感じがして、羨ましい限りです。
ほかの「歌姫」たちにとっては悲しい別れになる離婚も2度経験し、それもマイナス要素をまったく感じさせず、彼女自身の選択という潔い印象です。
どうしても周囲に引きずられる歌姫が多い中、逆境ですら、自分自身が選びとったものという自らの意思が感じられるのが、松田聖子の強さなのではないかと思います。
きっとこの先も、周りに左右されることなくアイドルとして歌い続けるのでしょう。

中森明菜論を書いてから1年以上経ちましたが、同年代のトップアイドル松田聖子は取り上げないのかというお声を(ごく身近なところから)頂きましたので、今回松田聖子を私なりに分析してみました。