執筆者:昭和芸能デスク
2010年02月15日

司会者の名調子で始まる歌番組も、最近ではめっきり少なくなりました。
歌は時代を映す鏡ともいわれますが、その歌々によって当時のいろいろな情景やその時代の様子などを思い浮かぶことができます。

以前、阿久悠さんの訃報に触れ、歌について少し書いたことがありましたが、阿久さんが作った歌にはまさにそうした情景や時代が浮かぶ詩が数多くあります。
こうした味わい深い歌はやはり昭和の歌に限るなとつくづく感じます。
その歌が流行った時代に特別な思い出がなくても、昭和の流行歌というのはどこかなつかしい感じがして、以前から好んでよく聞いていました。メロディや歌詞が覚えやすいので、随分古い歌を歌うこともしばしばです。
この「昭和芸能デスク」というペンネームも、昭和の歌謡曲やポップスが好きで名付けました。

ソウル留学中、日本が恋しくなった時などは日本の歌謡曲にどれほどなぐさめられたことでしょう。
それまでよりもずっと日本の歌をなつかしく感じ、自宅から持ってきたCDを聴いたりして過ごしましたし、聴くだけでなく、ストレス発散にラジカセから流れる歌と一緒に口ずさんだり、鼻歌を歌ったりして元気を出しました。

最近は行く機会もほとんどありませんが、貧乏留学生の娯楽と言えばカラオケぐらいしかなく、授業の帰りなど下宿近くのカラオケ屋さんによくクラスメイトと出かけたものです。
私が下宿していた町は、いくつか大学が点在する小さな学生街ですが、繁華街の通りを歩けば数百メートルの間に何軒もカラオケ屋さんがありました。多くは雑居ビルの2階か3階にあり、日本のカラオケ店のように取付電話で終了時間を告げられることもないので、4人で優に2~3時間は平気で歌って過ごしました。
海外の歌も多く収められていて、日本の歌も、馴染みの歌謡曲から最新ヒット曲まで思った以上にたくさん入っており選曲にはあまり困りません。
韓国の歌を覚えて歌えるようになってからも、カラオケ屋さんに行けば、7割ほどは日本語の歌を歌っていました。

しかし、こうした愛すべき昭和の歌が、韓国では長い間、公の場で聴くことができなかったことをご存じでしょうか。

日本の楽曲の生演奏だけでなく、日本の歌が収録されたCDを買うことも、また歌だけではなく、ドラマや映画など日本の娯楽作品はすべて禁じられていました。
留学前に確かニュースで見た記憶はあったのですが、軽く右から左に受け流していたので、留学してからこの事実を改めて認識し大変ショックを受けました。

それでも私が留学した2002年には、すでにいくらか解禁になっていたので、日本のCDはお店で売られており、来韓した日本の有名アーティストの公演にも留学中に一度行ったことがあります。
当時すべてのコンサートが解禁にはなっていましたが、それほど韓国内での認知度は高くなく、日本での公演だったら会場いっぱいの集客が予想されるアーティストでしたが、その時はホールの5分の1程度で、見ている側は通常より近くて得した気分を味わいつつも若干寂しい気がしました。

この残念な事態は日帝時代といわれた日本の植民地時代への反感から行われているもので、日本の歌謡曲・ポップスなどのほか、映画やドラマ、漫画・アニメといった大衆文化を「暴力的」または「低俗」として演奏や歌唱、放映・放送、販売などを通じての日本作品の公開を封じてきたものです。
どこからか入手して作った日本のヒットソング集のカセットテープが大学サークルの勧誘のおまけに使われていたという話を韓国の友人が教えてくれたことがありましたが、公式には自由に日本の歌やドラマを楽しむことはできなかったようです。

数十年間の封鎖ののち、韓国政府は1998年「日韓パートナーシップ」という題目を掲げ、初めて日本文化の開放を表明しました。
この解禁の措置を「日本大衆文化開放」といって、現在までに第一次から第四次まで段階的に実施されています。
最初の1998年には、第一次解放として世界三大国際映画祭[カンヌ(フランス)、ベネチア(イタリア)、ベルリン(ドイツ)]とアカデミー賞(米国)受賞作の上映や日本語漫画の販売を解禁しました。
翌1999年には約70の国際映画祭の各受賞作に拡大され、日本歌手の室内公演は2000席以下という制限付きで認められました。
次の2000年には18歳以上指定作品を除く映画、すべてのコンサート、日本語歌詞のないCDの販売、スポーツ・報道番組の放送などを解禁しています。

そうはいうものの、いろいろ制限がついていて、日本のドラマの地上波放送や受賞歴のない劇場版アニメなどまだまだ解禁になっていない娯楽作品は数多くあります。韓国の友人も、毎年劇場用が製作される人気アニメを見られないことを大変残念がっていました。
日本で韓流ドラマやK-POPを多くの人が普通に楽しんでいるのに、何とも悲しい状態です。できるだけ早い全面解禁が待たれます。