執筆者:気まぐれシェフ
2004年05月01日

最近、ひと昔前のスターのリバイバルがはやっている。
ピンクレディーやドリフなどの映像が秘蔵VTRとして放送され、DVDが売れに売れていたりするそうだ。
私の年代の人たちは皆、口をそろえて、懐かしいだの、よく物まねをしただのと誇らしげに自らの過去を話すのだが、くやしいことに私は仲間にはいることができない。

我が家では、ピンクレディーを聞くのはいいが歌うのは禁止、踊れるものなら踊ってみろ、ドリフにいたっては視聴絶対禁止の戒厳令が発動されていたからである。
子供はあくまでも子供らしく振る舞わなければならず、大人びた歌も人の頭をどついたり食べ物を遊びに使ったりするコントも許されないものだったし、シムラやカトちゃんのちょっとエッチなしぐさも決して見てはならないものであった。
だから、私の情報源はほとんどが友達であり、諜報活動は学校や友達の家で秘密裏に行われていた。
ただ、諜報活動とは言っても、子供雑誌に載っている振り付けの解説図を眺めたり、それに照らし合わせて友達の物まねを見ては、ほほぉーそんな動きをするのか、と感心したりする程度のものだった。
しかし、本物と友達のおかしな物まねとでは、当たり前だが、あまりにレベルが違いすぎる。
いまでも、ピンクレディーと言えば、ミーちゃん、ケイちゃんのアグレッシブに踊る姿ではなく、近所のまさこちゃんがお姉ちゃんと一緒に即席の舞台の上に立ち、頭と太ももにリボンを巻きつけたミニスカ姿でくねくねと動くあの場面が何よりもいちばん先に思い浮かんでしまう。
テレビを録画して後でこっそり見りゃあいいじゃん、と思われるかもしれないが、あのころはビデオの普及率はかなり低く(のちに小学5年生の頃に家にやってきたビデオデッキですら、確か20万円くらいした気がする)、そんな高等手段は思いもつかなかった。
それに、「よそはよそ、うちはうち」という親の常套手段である身勝手な言い分にどっぷり洗脳されていた私は、彼らに対してさして興味も持っていなかったのである。

当時、テレビを見る時間は1日に30分と限定されていた。
新聞にテレビ欄があることも知らなかった私にとっては、兄と一緒に見る少年番組がテレビのすべてであり、1日に1本番組を見られればそれで満足だった。
少女番組はまったくもって知らないが、この手のものにはめっぽう詳しくなった。
「宇宙戦艦ヤマト」「バビル2世」「デビルマン」「マジンガーZ」「仮面ライダー」は世界の常識、そのほかにも、「キョーダイン」「バロムワン」「キャシャーン」「アクマイザースリー」「ライディーン」など数え上げればきりがないほどによく見た。
アニメソングは今でもお風呂場の友である。

問題は金曜日だった。
夜7時30分からの「野生の王国」に続いて、8時から「太陽にほえろ」が放送されるのである。
1時間のオーバーである。
これはどちらも捨てがたく、両親に1時間30分への時間枠拡大を申請し、なんとか金曜日だけは例外として認めてもらえた。
金曜日は手早く食事を済ませ、テレビの前に陣取り、至福のひと時を過ごした。
見終わった後は、本日の動物に対する感想と、本日の犯人がなぜ哀しい犯行にいたったのかについて自分なりの見解を誰にともなく述べた。
そして、石原裕次郎が七曲署捜査1係の窓にかかったブラインドを人差し指でチャッと広げて外を眺めたり、受話器を取り上げ、「何っっ!」と言い放ったりするシブイ物まねを披露した。

小学校に上がり、リカちゃん人形を取り上げられてしまった私にとって、アニメソングと太陽にほえろのサントラを録音し何度も繰り返して聞くことが最高の楽しみだった。
テレビの前にカセットレコーダーを置き、家族全員の協力のもと、しーんとした中で録音は行われたが、そんなときに限って、電話が鳴り、誰かがくしゃみをし、誰かがたずねてきたりするので、録音はだいたいにおいて失敗に終わっていた。

その他の流行歌も厳しくチェックを受けた。
母親の肩をたたきながら「北の宿から」とか「津軽海峡冬景色」などをハミングしては、「子供がそんな歌を覚えてっ」と叱責を受け、それならばと、声には出さず頭の中で歌うものの、肩をたたくリズムが歌のリズムにいつの間にかすりかわってしまい、「あんた歌ってるね!」とバレてはまた叱られていた。
しかしなぜか、「北酒場」だけは許された。
おそらく、細川たかしは「欽ちゃんのどこまでやるの」にレギュラー出演していたから、欽ちゃんびいきの親にとっては教育上合格とみなされたのだろう。
おおっぴらに歌えると見た私はここぞとばかりに彼の歌ばかりを歌っていたのだが、次に出してきた歌が良くなかった。
「矢切りの渡し」。
これはさすがにおとがめを受け、彼は私のレパートリーからあえなく消去されてしまったのである。

あの頃、オトナになったら歌もドリフも思いっきり満喫してやるんだ、と思っていた。誰にも文句は言わせないぞと。
ところが、先日ドリフの特番を見たものの、ごくたまに親の目を盗んで兄とこっそり見たあの時のような面白さはもう感じなかった。
子供だからこそあんなに無条件におもしろかったのだ。
今見れば、裏に隠された彼らの努力や思惑など、オトナになるにつれ知ってしまったいろいろなものまでが付随して見えてきてしまう。
何も知らなかったあの頃には戻れないのだ、とあらためて実感した瞬間だった。
我ながら妙なところでノスタルジィを感じてしまったものである。

余談であるが、実写版映画「キャシャーン」が封切られた。
10代や20代前半の若者は、アニメの存在も「キャシャーンがやらねば誰がやる」というカッコ良すぎるあのセリフもまったく知らないそうで、放送時期を考えれば当たり前なのだが、驚きすぎて目が飛び出た。

機会があれば、オトナになって得たもの&失ったものの特集を組んでみよう。
さらなるノスタルジックワールドに浸れるに違いない。

ここまで書いてしまうと、いかにも厳しい環境で育ったかのようだが、ほかの面ではそうでもない。
前回の私のエッセイを読んでくださればお分かりのとおり、なんのことはない、要するに、野生児として育てられただけのようである。