執筆者:気まぐれシェフ
2003年09月01日

今年の夏はあまりに短かすぎる。
大好きな夏なのに、実感できるのは、これでもかと鳴いているセミの声を聞くときくらいだろうか。
私のまわりにはビルと車しか見当たらない。

子供の頃はちがった。
今でこそ都会以外では暮らせない軟弱な人間になってしまったが、何を隠そう、まわりがすべて田んぼ、牛もたまに見かけちゃうような田舎に住んでいた。

春、田んぼには見渡すかぎりレンゲとシロツメクサが咲き乱れ、その蜜を吸ったり花飾りを暗くなるまで作ったりした。
ちょうどそれに飽きてくる頃、田んぼは耕され、水が張られ、タニシやゲンゴロウ、アメンボにおたまじゃくしが現れる。
登下校中の最重要事項は、いつおたまじゃくしに手足が生えるかをチェックすることだった。
おたまじゃくしが立派に蛙になると同時に事故死する蛙も出てくる。隣の田んぼに住み移ろうとして耕運機や車に轢かれるのだ。雨の降った翌日は必ずノシイカのようにヒラヒラになった遺体が無数に散乱していた。

夏の風が吹き出すと虫がオールスターで登場する。
右手に網を持ち、虫かごはたすきがけ、もちろんスカートなんて言語道断という万全の体制で、バッタや蝶や目に付くありとあらゆる動くものを追いかけまわした。
夜は、擦りむいた肘と膝に赤チンをつけた後、今日出会った虫たちを図鑑で調べ予習復習を怠らなかった。
「学研まんがひみつシリーズ・昆虫のひみつ」を熟読して得た知識をもとに、狙う獲物が生息していそうな場所を刑事顔負けのしつこさでしらみつぶしにあたったりもした。
憧れはカブトムシやクワガタをはじめ、トノサマバッタ、オニヤンマ、アゲハ蝶にオオカマキリといったところだっただろうか。
カブトムシとクワガタを戦わせたら意外にもクワガタの方が強かったけれど、消しゴムを紐で胴体に結びつけられてもなお、前進しようとするひたむきなカブトムシが好きだった。
朽ちた木の中からカミキリムシを探し出すのもたまらなく楽しかった。
虫かごで育てたアゲハ蝶の幼虫はついにさなぎとなり、羽化の瞬間もぬかりなく観察した。
スズムシは餌をやるのを忘れて綺麗に共食いさせてしまった。
ダンゴ虫がせっかく伸び伸びしているのに、常にダンゴであれ、と、つっつき続けた。
水辺でイトトンボがパートナーを奪い合い熾烈な争いを繰り広げている様子を、タンポポのわたぼうしを吹き吹き、のほほんと眺めた。
庭にはホタルもやってきた。ぼぉーっと青白いその光は子供ながらにはかなく感じられて、永久に消えてしまわないように息を止めてそっとそっと手のひらにのせた。
父の田舎に行った時、真夜中に離れのトイレに行ったら女郎蜘蛛が目の前にべったりと張り付いていた。図鑑で見るよりずっと大きく迫力あるそれに興奮した私は、この感動をあなたにも、と親を揺り起こして見せに連れて行ってあげた。
目新しい獲物が見当たらないときは、セミの抜け殻を山ほど集めて母親を恐怖に陥れた。
虫にとっても親にとってもはなはだ迷惑な話である。

しかし、被害者はそれだけに終わらなかった。
田んぼ横のドブに糸をたらしてザリガニも吊り上げた。餌は糸ミミズかスルメだった。
吊り上げたザリガニ達は気の毒に、同じ境遇の仲間と相撲をとらされる運命をたどった。
カナヘビを頭にのせてここで飼おうと決心したこともあったし、食用と言われるウシガエルを捕まえてはみたものの、どう見てもおいしそうじゃなかったのでがっかりしたこともあった。
蛇はちょっぴり怖かったけど、アオダイショウを見たときは強そうでかっこいいと感動した。
川に行けばアマゴやイワナを釣る父と兄の横で稚魚をバシャバシャ掬い、「もっとあっちでやってくれ」と追い払われたし、海に行けばヒトデを採り、くらげに刺されてキンカンを全身に塗られた。
熱帯魚のグッピーはいくらでも餌を食べるのがおもしろくてずっとやり続けたら、次の日全滅していた。
壁に貼りついていたコウモリをつかまえたら、グレムリンそっくりだった。
小学校で飼っていたミドリガメの鼻の穴に髪の毛を入れるとくしゃみをすることを発見してみんなに発表したら、先生は大笑いしたあと、ちょっとかわいそうねと言った。

ほかにも鯉やフナ、猫に犬にウサギにスズメ、カナリヤ、ニワトリとエピソードはまだまだ山のようにある。

思えば、映画オーメンのダミアンと言われても否定できないほどに彼らに極悪非道の振る舞いをしてきた私ではあるが、足を軽くひっぱただけなのにもげちゃったとか、大事に握り締めて家に帰ったらしなびてぐったりしてどうしたの?とか、ミツバチマーヤを見つけて手のひらに乗せようとしたら思いっきり刺されたとか、そういうことを繰り返して、生命のはかなさやもろさ、大切さを学び、四季を体全体で満喫していた。
私のような体験をできない都会の子供達は気の毒で仕方がない。

そんな子供達には文中にも登場した「学研まんがひみつシリーズ」をお薦めしたい。
1970年代に発行されたこのシリーズは、昆虫のひみつ以外にも宇宙・からだ・恐竜・魚・植物・忍術・・・と数え切れないほどのひみつを取り上げており、私はこのシリーズをボロボロになるまで繰り返し読んで、知らないことを知ること、知りたいことを調べること、知ったことを確認することの楽しみを覚えた。
度重なる引越しで手放してしまったのがどうにもこうにも悔やまれるが、その内容はほとんど覚えているし、今でも役立つひみつがたくさんある。
ひみつを知らない大人は意外に多く、折にふれ「あたし知ってたもーん。」とささやかな優越感を感じたりもできるのである。

田舎から遠ざかってもう10年以上経つ。彼らに出会うこともそうそうなくなった。
もしかしたら虫を見て「きゃー。こわぁーい。」などと騒ぐ馬鹿な大人になってしまったのではと危惧していた矢先、部屋に飛び込んできたセミをためらいもなく掴むことができた。
そういえば、事務所旅行でネパールに行ったときも、バスの窓に張り付いていたカマキリを捕まえたっけ。
まだまだイケるようである。