弁護士のエッセイ

2018年11月01日
eスポーツ

eスポーツは、日本だと最近になって知名度がグンと上がった言葉です。これは、主に対戦型のテレビゲームを単に遊ぶのではなく、競技として取り組む場合の名称です。
自分で言うのもおこがましいのですが、私は、テレビゲームを競技としてプレイしていた側の人間だと思います。具体的な名称は伏せますがプレイ人口が数十万人規模のゲームで、2桁程度の順位をキープしていました(社会人になってからは、流石にできていませんが)。

単に暇つぶしに遊ぶのではなく、真剣に取り組んでいた以上、良いことも沢山ありましたが、嫌なこともありました。そのため、eスポーツに対しては正負入り混じった語り尽くせない思いがあります。その中でも、一番大きい感情は、ゲームが社会に認められて嬉しいということです。

私は、平成4年生まれなのですが、物心ついた頃の社会のゲームに対するイメージは今よりも明確にネガティブなものだった記憶があります。今はあまり聞かなくなりましたが、「ゲーム脳」という、ゲーム等が脳に悪影響を与えるという説が唱えられていたのも、この頃でした。思春期になると、おおっぴらにゲームが好きというのを公言するが憚られるような空気も少なからずあった気がします。自分が好きなものが社会から白い目で見られるというのは、辛いものです。

しかし、時が経つにつれて、ゲームの社会的地位は徐々に上昇していきました。これは、単に私の希望的観測というわけではないと思います。私の勘でしかありませんが、ゲームに親しんだことのある世代が成人して社会的な発言権を得たこと、ゲーム実況動画の流行、スマートフォンの普及等が原因ではないでしょうか。
普段ゲームをやらない人でも実況動画は見るという人もそれなりにいるようですし、今までゲームをしたことがないような中高年の方がスマホゲームを始めたら意外にハマったというような話をよく聞きます。街中でたまにポケモンGOをプレイしていると思しき集団を見かけますが、若い人よりもむしろ中高年の方が多いくらいです。

そして、eスポーツというのは、ゲームが社会的に認められてきたことの一つの到達点といえるでしょう。いまやeスポーツには、それのみに専念するプロが存在し、ワールドカップといった世界規模の大会が開かれるようにもなりました。当然そのようなプロを応援し、大会を楽しむ熱心なファンが数多く存在します。

ゲームがより社会に認められ、立派な文化のひとつだと皆から思われるような日が来ることを願っています。

弁護士 吉本 達哉