2011年10月01日

先日の池田弁護士のエッセイ“マラソンとクラッシック音楽”のなかには次のようなくだりがある。

“その後、アスリートの森田弁護士が、フルマラソン2時間54分台という驚くべき好タイムを記録した模様をエッセイに書いた。私は、そのようなマニアックなランナーでないが、・・・”

池田弁護士は自分がマニアックではないと認識しているようだが、果たしてそのような認識は正しいだろうか?
エッセイのなかに15キロ走、16キロ走といった話がでてくるが、そんなに走り込んでいる時点で充分マニアックなのではないか?
最近では20キロ走や30キロ走といった走り込みもしているようである。
普通のひとは自分の足でそんなに走らない。
自覚があるかどうかは別としても、そのような走り込みをしている池田弁護士や私はマニアックであり、過剰である。

私の周囲には過剰なひとたちが多い。
最近ではマラソン仲間もできてきて、7月にはみんなで舞洲で“24時間リレーマラソン”なるイヴェントに参加した。
“24時間”っていうところに惹かれちゃうあたりがすでに過剰感たっぷりですね。
フルマラソンに出走すること自体は当然の前提としつつ「どの大会に出る?」みたいなことを大人数で話し合っている姿をみると、やっぱり平均的とはいいにくい。

最近ロードバイクをはじめたが、ロード愛好者というのはこれまた過剰な人種である。
ロードバイクというのは非常に軽く、特に軽量化などしなくても片手で持ち上げられるくらいの重量しかない。私が乗っているCANNONDALEのアルミはそんなに軽量な車種ではないと思うし、各パーツも特に軽量な装備ではないが、それでも8キログラムちょっとくらいの重量である。
フルカーボンの車体に軽量なパーツを揃えていくことで6キロ台のロードバイクに乗っているひともいる。
要するにロードバイクというのは非常に軽量である。
それでも彼らは満足できずにグラム単位でさらなる軽量化をめざしている。
例 タイヤを変えたら20グラムも軽くなったぜ!
ロード愛好者たちは、重量に関してはグラム単位と非常に細かいが、その一方で距離に関しては100キロメートル単位くらいで捉えていて、非常に振れ幅の大きい極端さを示す。
たしかにロードバイクに乗ると100キロくらいはラクラク走れて、心肺機能という自前エンジンでどこまで行けるのか試してみたい気持ちになってしまうが、そういうのはやっぱり過剰なんでしょうね。
それに、ロードバイクをしているひとたちのなかには、自転車を何台も所有していて、それを室内で保管するので家の中が自転車のせいで狭くなるという現象もみられる。 自転車なんて一台あれば充分というのが冷静な見方であるけれど、その辺の感覚がずれちゃってるんでしょうね。
私もすでに、次にどんな自転車を買おうかな~、クロモリ(クロムモリブデン鋼)のロードってやっぱり欲しくなるよね~、でもやっぱりフルカーボンの戦闘能力が高そうなやつも捨てがたいな~的なことを考えていて、他人事では済まない部分がある。

また、弁護士というのも、クライアントからは見えている部分とそうでない部分があるだろうが、極端で過剰なところを匂わせる人種である。
やたらと攻撃的だったり、執拗だったり、自己顕示欲が強かったりする人は少なくない。
昼夜問わず仕事していたりするし。

まぁ、よくよく考えてみれば、弁護士で、マラソンランナーで、ロードバイク乗りだから、私がいちばん過剰なのかもしれませんね。