2015年03月01日

私どもの「栄光綜合法律事務所」は、平成26年(2014)秋、事務所を北船場の真ん中、伏見町3丁目に移転しました。
とくにこのエリアにこだわったわけではありませんが、いったん落ち着いて回りを見渡してみると、大阪の歴史そのものがここ「船場」にあるように思えるなど、興味をそそられることがいっぱいあることがわかりました。そして、大変住み心地がよいところであることもわかりました。

船場に興味を抱いたきっかけはNHKの朝のドラマ「マッサン」でした。地域の情報誌の記事に触れたことからでした。
マッサンこと竹鶴政孝(ドラマでは亀山政春)がウィスキー作りに成功した陰には多くの人たちの支援がありました。その中でも代表的な人物と言えば次の4人を挙げることができます。
芝川又四郎、鳥井信治郞、加賀正太郎(これらはドラマ上の名ではなくそのモデルとなった実在の人物の名です)、そして山本為三郎です。
マッサンにまつわるこの4人の人物がすべて船場と密接な関係があるのです。

まず、芝川又四郎(ドラマでは野々村)について。
私の事務所と同じ伏見町3丁目に「芝川ビル」があります。昭和2年に建てられたアール・デコ様式で、江戸時代から続く豪商芝川家が当初花嫁学校として建てた建物です。ユニークなデザインで、今もここを通りがかる人がカメラを向けている光景をよく目にします。
マッサンが、勤めていた摂津酒造からウィスキー勉強のためにスコットランドに留学し、帰国したとき、芝川家6代目の又四郎は住吉区に別宅を持っており、その離れの洋館をマッサンに貸しました。
家族ぐるみで懇意となり、その縁で、芝川又四郎は、後にマッサンが設立する「大日本果汁株式会社」(後のニッカウヰスキー)の出資者の一人となりました。
また、この会社の設立総会も芝川ビル内で開催されました。今からちょうど80年前のことです。
その当時のまま残るビルの1階にその説明看板がかけられています。

二人目の鳥井信治郞(ドラマでは鴨井の大将)はよく知られたサントリーの創業者です。
鳥井は若いころ、船場にあった「小西儀助商店」(建物は現存)に丁稚奉公として入り、そこで洋酒の作り方やブレンド技術を身につけました。
鳥井商店を起業し、そこで「赤玉ポートワイン」(ドラマでは太陽ワイン)を開発しましたが、その製造を委託されていたのが住吉区にあった摂津酒造で、マッサンはスコットランドから帰国後もここに勤めていたのです。
これが縁で、マッサンはその後鳥井商店に移り、鳥井信治郞とともに本物ウィスキーの開発に従事することになりました。

三人目の加賀正太郎は、船場高麗橋生まれで、北浜で証券会社「加賀商店」を営んでいました。鳥井商店の山崎蒸留所の近く、京都府大山崎町の山あいに別荘をもっており、マッサンが鳥井商店に勤務していたとき、芝川又四郎の紹介によって懇意になりました。芝川と加賀は船場の財界人仲間として懇意でした。
加賀は世界的な蘭の栽培家としても知られ、また登山家としても有名で、ユングフラウ日本人初の登頂者でもあります(ドラマでは阪神が演じるやや下品な人物ですが)。
マッサンが独立して「大日本果汁株式会社」を設立した際、芝川又四郎とともにその出資者の一人に、その後筆頭株主になりました。

四人目の山本為三郎、アサヒビールの創業者、大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)の創業者です。この人もまた船場生まれで、上の加賀正太郎と財界人仲間でした。
加賀正太郎が晩年ガンに冒されたとき、自分の死後マッサンの大日本果汁の持株が散逸しないように山本為三郎に要請し、山本はその株式を引き取りました。山本はマッサンとも懇意でした。
その結果、ニッカウイスキーは今アサヒビールの子会社になっています。また、加賀が所有していた大山崎の別荘は、「アサヒビール大山崎山荘美術館」になっています。

ドラマ「マッサン」はほとんど歴史的事実を描いたものですが、そのストーリーの背後にここ船場におけるいくつもの出会いと展開があったことに格別興味を引かれます。

私どもが船場に事務所を移転してきたからこそ学び得た歴史の一駒です。