2011年05月01日

私の読書量は必ずしも多くありません。仕事と趣味に当てる時間を除くとあまり余暇というものがないのが一つの理由です。
また、昨今書店に並んでいる本でわざわざ時間を費やして読むに値する本はきわめて少ないように思います。とくに、研究者、専門職、実業家などといったバックボーンをもたない単なる「もの書き」の書いた本を読むのはほとんど時間の浪費です。無理に字数やページ数を膨らましていることが見え透いて、有益な記述はごくわずかしかありません。

私は読書量が少ない反面、自分にとって有益と思われる本、自分がとくに関心をもっているテーマに関する本は、漫然と読むのではなく真剣に読みます。せっかく読んでもすぐにその内容を忘れてしまいたくない、読んで得たことをちゃんと記憶し、それを自分を磨くために役立て、血肉にし、生活や行動につなげる、そのようにしたいと思うからです。
そのために、そのような本に関しては、私は内容を忘れない読み方を心掛けています。

その方法は、まず読み進めるとき、大事なところ(覚えておこうと思うところ)に鉛筆で傍線を引きます。ボールペンやマーカーよりも消そうと思えばすぐに消せる鉛筆がいいようです。同じような文脈が出てきたときに(必ず出てきます)前の傍線を消すためです。
このやり方でとりあえず読了したあと、今度は傍線部分だけを拾い読みします。これには当然あまり時間がかからないので、1回ならず数回読むことになります。その結果、その部分、つまり自分にとって新しい知識、重要な事項は自然と記憶に残るようになります。
このやり方を、本全体を2回読むことと比較すると、どちらが効率的かはっきりしています。つまり、どうでもよい部分は2回読む必要がない、それはほとんど時間の浪費だからです。

しかし、本当に確かな記憶として留め、自分の血肉にするためにはこの方法でも十分ではありません。そこで、とくに重要な本については、傍線部分を読み返しながら、要点を自分のノートに整理し書き留めるという方法を取っています。元の本の傍線部分を単に何回も読み返すよりも、自分が理解、記憶しやすいように整理した自分のノートを繰り返しながめる方がはるかに効果的です。

私は以上の方法を司法試験の受験勉強中も実行していました。当時(もう古い話ですが)合格するには基本書を10回読む必要があると言われたものです。そのため十分に本を傷めて合格にこぎつけた受験生も多かったのですが、私の基本書は所々に鉛筆で傍線が引いてあるだけでほとんど傷んでいませんでした。全体を読むのは1回だけ、傍線部分を読むのが数回、本との直接の接触はこれだけだったからです。あとは自分のノートをひたすらながめ、理解と記憶を定着させることに努めました。
大部な本をノートにまとめるのは時間がかかりすぎるとして周囲の受験生たちは賛成も採用もしませんでしたが、私は短い期間中に1冊の基本書につき1冊のノートを完成させていました。しかも今と違いすべて手書きです。要領もよかったのだと思います。

受験勉強中のこのようなやり方が習慣になってしまったためか、その後も現在にいたるまで私の本の読み方は変わっていません。もちろん、ノートにまで書き留めるのはごく一部の本に限られますが。
ノートに書き留めるという作業は、今ではパソコンで文書を作成する作業に取って代わりました。パソコンという手段のお陰で、昔手書きでノートを作っていたことと比べると飛躍的に能率があがりました。
パソコンではじめてこのやり方を実行したときのことをなぜかよく覚えています。D・カーネギー著「道は開ける」という本でした。ちょうどワープロを使い慣れて、その便利さに感動していた頃です。
まず傍線を引きながら通読し、傍線部分を繰り返し読み、そのあと自分なりにその要点をまとめてワープロ文書を作成しました。プリントアウトして自分で何回か目を通したほか、何人もの人にそのプリントを差し上げました。今もパソコンの中に保存ファイルとして残っています。

ところで、私の「傍線読書」は図書館や他人から借りた本では実行できません。このときは傍線を引く代わりに「のり付き付箋」を貼り付けていく方法があります。しかし不便は否めません。傍線が引いてあればその部分のみを拾い読みすればよいのですが、付箋はこの当たりという印に過ぎないため、拾い読みする範囲が特定されていません。また、返却時には張った付箋をはがしておかなければなりません。
また、iPadなどで読む電子ブックでも傍線を引くことはできません。そのようなソフトが開発されるのも遠くないとは思いますが。
「傍線読書」で読み終えた本は古本として売りにくいということもこの方法の欠点です。私はそのために私のやり方をやめるつもりはありませんが、それを避けるのなら、借りた本の場合と同様、「のり付き付箋」を利用することです。

とにかく、読書は有益な部分を記憶に定着させてこそ意味があります。器に入れた水が底から漏れていくような読書では時間がもったいないだけです。そうであれば、本をただ漫然とページをめくりながら読むのではなく、「傍線読書」か「付箋読書」、さらにときには「ノート方式」を取り入れながら読むのがよいと思います。 ちなみに、私は新聞や雑誌を読むときでも、記憶しておきたい部分には傍線(このときは赤のボールペン)を引きながら読みます。その記事をあとどうするかはまた別の機会に紹介したいと思います。