2005年11月01日

4歳になる息子が、突然私に聞きました。「ママ、本当に子供の笑顔がママの宝物なの?」
突然の質問に、「えっ。何でそんなこと聞くの?」とうろたえる私。
「だって、テレビで言ってたもん。」
あーコマーシャルか、と思い当たりました。
確かマンションのコマーシャルでそんなことを言っていたような。

子供からの愛情関係の質問については即答しなければ。
「検討の上、追って書面で。」などと(悪い意味で)弁護士っぽくぐずぐずしていてはいけません。
でもこういうことって、特にきれいごとやうそでごまかしたくない。
「うーん。そんな笑ってたらいいとか、そんなもんじゃない。もっとこうちゃんがいることそのものがうれしい、とかいうおっきなことがママの宝物。 こうちゃんを育ててるなかで何が特別に好きか、と言われたら、こうちゃんの泣いてるときのお口のにおいかな。」
と自分としてはできるだけ正直に答えました。
子供は「ふーん。」とわかったようなわかっていないような顔で聞いていました。

そのようなやりとりのあと、何かひっかかるものがあって考えてみました。
「子供の笑顔がママの宝物」っていうのは、やっぱり無責任。
親は子供がきちんと自立するように、目を光らせていなければいけない。
自分の楽しみを自分で見つけて、それを自分で獲得することができる力をつけること。
友達や職場・家族を含めて自分の居場所を自分で見つけること。
それはとても大変なことで、難しいこと。
その実現にむけて、なんとなくでも、とんでもない方向に行っていないか目をひからせて、あまりにまずいときは軌道修正してやるのが親の責任。
笑ってるのを喜んでたらいいというものでもない。
むしろ笑ってるときは、はしゃぎすぎて怪我をしがちだったり、とんでもない悪さをしていることも多い。

それに関連して思いがいくのは、どうしても結論が出ない児童虐待の問題。
先日も人権委員の仕事で保育所長をされていた女性とお話する機会があったが、「どうしてなんでしょうねえ。」と2人でため息をつくばかり。
「虐待の連鎖」などという言葉もあるが、それだけでは絶対にないはず。
景気が悪くて、終身雇用制も崩壊し、親自身の生きにくさ・ゆとりのなさという問題もあると思う。
けれどもこのコマーシャルのフレーズみたいに、あまいイメージで親が子供を愛玩動物のように考えていないか、扱いやすい世話のかからない、にこにこしている子供をイメージして、親の責任や子育てにかかる莫大なエネルギーをよく考えないまま親になっていないか。
親になったときの負担に耐えるだけの訓練を受けずに、親・大人になっていないか。
そんなことを考えてしまいました。