弁護士のエッセイ

2013年12月01日
擦り切れてないか?

早いもので弁護士になってから18年目に突入した。
仕事をしていて思うのは、擦り切れない人になりたい、ということである。

現在子育て真っ最中のため、いろんな教育者の方に接する機会がある。
子供が保育所でお世話になっていたころ、様々な病気に罹患していわば満身創痍の状態でありながら、笑顔を絶やさず毎日子供たちにユーモラスに接する保育士の先生がいらっしゃった。
その先生のすばらしいところは、熟練したスキルだけではなく、「目線はいつも子供達のため」にあることである。
親に対しては結構厳しいことをおっしゃることもあるが「子供達のため」に、という一貫した太い芯に基づいてのことであることがわかるので、こちらも素直に聞くことができる。
どこからそのエネルギーが出ているのか私にはわからないが、本当に頭が下がる。
先生は牧師婦人でもあり、敬虔なクリスチャンなのでひょっとしたらそのことも関係しているのかもと思うが、それだけでここまでのことはできないのでは、と感じる。
年齢を重ねられ、しかも厳しい健康状態にありながら、子供に対する愛情や保育に対する情熱が全く擦り切れておらず、フレッシュなままであることに驚いてしまう。

一方、残念ながら擦り切れてしまっている人に遭遇することもある。
だいぶ前の話になるが、数年間隔で同じ場所に同じ痛みを繰り返し覚え、レントゲンも何度かとったものの、毎回レントゲンの結果からは異常なしだったので、原因は炎症だろうという診断が続いたことがあった。当時は二人目を産む前で子供がほしかったこともあり、「症状は前と同じだし、妊娠の可能性もあるので、今回はレントゲン撮影は受けたくないです。」と言ったところ、「じゃあ原因はわかりません。」と切れてしまうペインクリニックを標榜する整形外科の医師。
そこそこのお年だったのできっと何度も同じような患者を診ていて、放置してもたいしたこともないのもわかっていたのかもしれないけれど、その医師には痛みを覚える人をなんとかしてあげたいという気持ちが全く失われているのを感じた。
当然のことながら二度と行かなかった。

人のことをいうとそのまま自分にも跳ね返ってくる。
紛争に悩んでいる人にお会いしてなんとか早く紛争を解決したい、気持ちを楽にしてあげたいという情熱が失われていないか、擦り切れていないか。

思い出すのはある相談者のことである。
初めて相談に乗ったのは離婚問題に悩む女性だった。
弁護士としての経験は本当に少なかったものの、自分のありったけの知恵を絞って回答をし、今考えてもその方に対するアドバイスはなかなか的確だったと思う。
そしてなにより情熱にあふれていたと思う。
その後、その方から相談はないが、10数年を経過してなお、つい最近まで贈り物が届いていた。
そのたびにそのときの気持ちが思いだされ、身の引き締まる思いがした。

ときどきは自分に問いかけたい。
「擦り切れてないか?」

弁護士 池野 由香里