弁護士のエッセイ

2017年09月01日
人格を否定しない

人のことをできるだけ裁かないことを心がけています。
どうやら聖書に書かれていることらしいです。
裁判を生業としているので変な感じですが、あるがまま物事を見るための心がけです。

私は元々、他人のことをよく裁いてしまいます。
卑近なことですが、私は歩きスマホをする人が大嫌いです。
人の迷惑も考えないで!と本当はもっと酷い言葉で内心、悪態をついてしまいます。
でも、ひょっとして、その人にはやむに已まれぬ事情があって、今、何かの情報を得ようと必死なのかもしれません。仕事のこととか、自分の病状とか。スマホ依存症なのかもしれません。
そういう人を相手に私がとやかく言っても仕方がありません。「歩きスマホはやめてください」と言う手もありますが、現実的ではない。気持ちがイライラする分だけ自分が擦り減ってしまいます。
ややもすれば自分自身のストレス発散のため攻撃の対象を探しているだけかもしれません。その人を追い抜かして手元を覗き込み「やっぱりこいつ、ゲームしてるやん!」と「わざわざ」怒ったりして。
そういう気持ちで数分過ごすよりは、その人の後を歩かないようにすればいいか、諦めるかすればいいだけですね(それも「けったくそ」の悪い話ですが…。イカンイカン)。
その代り交通機関には、歩きスマホ撲滅キャンペーンをしっかりやってほしいなと思っています。

このように私は子どもの頃からの癖で、自分の基準にあてはめて、あいつはここがアカン、腹が立つ、と結構腹を立てやすい人間です。
外見上そう見えないかもしれませんが、私のことをよくご存知の方は、そうやな、と思うでしょう。人のことが許せなくなるんですね。

でも人が許せない気持ちを抱えていても、自分が苦しむだけで余計にしんどくなります。
一方で自分こそ、そんなに素晴らしい人間か?いやいや、欠点だらけやないか、ということが少しずつ身に染みてきます。ある意味大人になるということかもしれません。47歳のおっさんが言うことでもないですが。
そこで、あまり自分の基準に固執しないとか、そもそも他人のことを悪く言ったり、考えたりしない方がいいということになります。
道徳的観点から言っているのではなく、自分の精神衛生上の観点が第一にあります。
自分の欠点に戻ってくる「ブーメラン」を恐れてなのかもしれません。これは保身かもしれません。

ただ、人のことを悪く思ってしまうと、その人が言うこと、なすこと全てが間違っている気になってしまうのが最も避けたいことです。
逆にいうと、人と素直に接することができれば、「良いことも言っているな」となるし、その人の素晴らしい一面も垣間見えることもあります。その人自身歩んできた道があり、人生背負って生きてるんやなあ、という気にもなります。
その人の性格や人格からまず判断するのではなく、その人の言葉を聞き、行動をみて、さあ自分はどう考え、どう話し、どう行動するのかを決めていけばいいということかと思います。
自分中心ともいえますが、他人を尊重したうえで、自分自身は主体的に行動するというのはとても大事なことで、それは道徳的という以上に、合理的で建設的だと思います。
誰が言っているのかではなく、その人が言っている内容で判断するというのはビジネス本にもよく書かれていますが、なかなか難しいですね。この人の言うことは信用できるというのもあるし。
ただ、人がしゃべっていることにすぐ飛びついて、良いとか悪いとか言う前に、自分の頭の中にポイントを吸収したうえで、自分でゆっくりと咀嚼して判断するように心がけています。
そして意見を交し合えば、自分の誤解に気が付かされ、新たな学びを得ること、お互い高みに到達するのもよくあること。
自分のキャパシティの問題もあって、どうにも合わなければ、今は受け入れられないなということが内心あるのは仕方ありません。

毎日インターネットやテレビでは、人を裁く言葉ばかりが飛び交っていて、辟易します。
日本でも世界でも特定の国、政党、主義主張を同じくする人々を十把一絡げにして攻撃し、叩きのめし、自分の優位性をアピールしようとします。いつからこんなになったのかな。
あるいは問題のあった議員、私生活でトラブルを抱えている芸能人、テレビに映った素人までその人格が徹底的に否定されます。大袈裟でなく、毎日日替わりです。
今年の夏の高校野球でも、守る側のベースの足が離れていたとか、その足が離れていたのは相手チームが故意に蹴り飛ばしたからだとかいって、ネットでは高校球児に罵詈雑言が浴びせられていました。
もちろん、私自身が辟易したって仕方がありませんし、自分自身についていえば見なきゃいいことです。
ここでこういうことを書いていること自体、誰かを非難しているようです。
とはいえ、みんなで、いっせいのーで!で悪意ある言葉をやめれればいいのにとも思います。社会的背景や個々人の満たされない想いのせいかもしれません。余裕がないときは人を攻撃しがちなのは誰しも感じることです。
そんな聖人君子みたいなことをいっていても無意味ですので、私自身、現実の世界のなかで、自分が与えられた役割の中で、できるだけあるがまま物事を見るように心がけ、少しずつでも行動し、弁護士の仕事をしていきたいと思っています。

弁護士 嶋津 裕介