弁護士のエッセイ

2019年02月01日
ホモ・デウスを読んで

昨年から「ホモ・デウス」にはまっている。著者はユヴァル・ノア・ハラリ氏で2016年9月に「サピエンス全史」の日本語版が発売されて日本でもベストセラーになったが、その続編ともいうべき著作である。「サピエンス全史」が、人類(ホモ・サピエンス)がどのようにして発達してきたかを主たるテーマとしているのに対して、「ホモ・デウス」は、そのサブタイトル「テクノロジーとサピエンスの未来」が示すように、これからどう発達していくと予想されるかをテーマとしている。

「ホモ・デウス」は冒頭で人類が長い間、克服すべき課題であった飢餓、疫病、戦争を解決したといえないまでも、壊滅的な災厄をもたらさない程度には抑え込めるようになったと結論づけている。なるほどと納得する。

飢餓については、日本でもつい100年前には冷害で食糧が不足する地方があり、200年前には大量の餓死者が発生するという事態も起こっている。そのような事情は、欧米では日本に比べて早い時期に克服されたとしても、人類の歴史というスパンでみれば大きな違いはない。それが今では少なくとも欧米、日本では食糧は満ち溢れているといえる。先日コストコ(costcoであり発音としてはコスッコが正しいと思う)に久しぶりに行った。倉庫のような店舗に大容量の食品を廉価に販売する形態のスーパーマーケットであり、カナダ留学中に初めて行ってそのスケールに驚いたが、1999年に帰国した後に日本でも開店した。肉であれば1kg単位で販売されるなど日本の普通のスーパーマーケットに比べて格段に販売している食品の単位が大きい。私達も、そのような食料品をアメリカ型の大型のショッピングカートに満載して買ってきた。チーズ1kg、スモークサーモン700g、ベーグル12個という具合である。中国では毛沢東時代に数千人の餓死者を出したと言われているが、現在の中国でそのようなことが起こると考えるのは現実的ではなく、日本や欧米だけでなく、飢餓を経験したり、飢死する人類は少数派となっている。

疫病として有名なのは、中世ヨーロッパに流行した黒死病(ペスト)であり、人口が半減したような村も珍しくなかったらしい。日本でもコレラが江戸後期に大流行したことがある。「ホモ・デウス」によればもっと強烈なのは天然痘であり、スペイン人たちが南米大陸に持ち込んだ天然痘のためにアステカ帝国やインカ帝国の人々は続々と死亡、ところによっては9割が死亡したこともあったらしい。現代ではペスト、コレラ、天然痘は駆逐されつつあり、少なくとも壊滅的な打撃を与えるほどに大流行することはない。もちろん、新たな病気が流行するということはあり、すぐに思いつく例としてはエイズがある。先日、「ボエミアンラプソティ」を見てきたが、この映画の主人公であるクイーンのフレディ・マーキュリー(ちなみに私は彼がパキスタンの移民の息子だというのを初めて知りました)が死亡したのは1991年で、その頃には致命的な病気だった。しかし、今では、完治することは難しいとしても、発症を抑え込むことは可能となっており、慢性的な病気に近くなっている。

戦争については、今でも各地で紛争は起こって多数の人間が死亡しており、解決したなんて言われると違和感を覚える人もいるのは当然であろう。ただ、「ホモ・デウス」によると2012年の死者のうち人間の暴力が原因の死者は62万人(その8割は犯罪の犠牲者)に対して、自殺者は80万人である。年末年始にケーブルテレビでNHKの「映像の世紀」の再放送があり録画してじっくりと見たが、たとえば第一次世界大戦の塹壕戦、第二次世界大戦の独ソ戦、ベトナム戦争の戦死者の数は桁違いであり、壊滅的といっていいものであった。そのような事態が常態であった時代は過去になりつつあるというのは是認していいのではないだろうか。

「ホモ・デウス」は、人類は飢餓、疫病、戦争を克服したとして、次にどういう課題に挑戦しようとするかを述べる。それは「不死」と「幸福」を手に入れることである。これらを手に入れることによって、人類は神(デウス)になろうとしているというのである。それは人類が進化して得るのではなく、テクノロジーの進化、発展によって得ると考えられる。ただ、そうなったとして、今日的な人間の感覚として幸せであるかどうかはわからない。

「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を続けて読むと、著者の主張は非常に説得力がありめちゃくちゃに面白い。ぜひ一読をオススメする。文明評論書、哲学書というべきものではあるが、決して難解な表現が多用されているわけではなく、むしろユーモアに富んだ表現がそこかしこに挟まれて、くすっと笑いながら納得させられるのである。

弁護士 池田 佳史