弁護士のエッセイ

2014年01月01日
「誰か」のために時間を使う

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

新年に際し、新しい時間管理法を思いつきました。

それは、できるだけ具体的な「誰か」のために時間を使おうと心がけることです。
「利他の精神」ではありませんので、その「誰か」が自分であっても構いません。
そう思うだけで時間の浪費を防げるように思います。

こう考えるに至ったのは、ただぼんやりとフェイスブックをみたりしている時間が案外長いことに気付いたからです。

私も仕事の合間に、あるいは恥ずかしいことですが、デスクワークの最中でも、なんとなくフェイスブックが気になって起動し、ついつい見てしまうことがあります。
何か目新しい情報が特に得られるわけでもありません。ただただ友人、知人の近況報告をなんとなく見てしまっている時間が案外長いように思います。
その間、仕事も、思考も、当然ストップしています。
もちろん友人の活躍の様子から刺激を受けたり、笑えるエピソードが書いてあって気分転換になったりすることはあります。積極的に友人とコミュニケーションを取ろうとして、フェイスブックを活用するのは悪いことではありません。
しかし、だいたいはなんとなく画面をみて、そこに集中してしまい、周囲が見えなくなって、気が付くと時間が過ぎている…皆さんはそんなことはありませんか。

ふと気づいたのは、このとき、いったい誰のために時間を過ごしているのか、ということです。
フェイスブックで「いいね!」を押して、友人を応援してあげたり、自分の気分転換のために使っていれば、それはその友人や自分のために時間を過ごしています。
でも、ぼんやり画面を見つめて、フェイスブックにとらわれている間は、いったい誰のために時間を使っているのでしょうか。
自分の目や脳も疲れるはずですし、おそらくは誰のためにもなっていません。
気付かないうちに個人的な趣味嗜好をただただ収集されていることだけに時間を費やしているかもしれません。
要は自分の主体性がなくなって、何者かに囚われているように思えます。
いつも人の役に立たなければならないとは決していいませんが、誰のために使っているか分からない時間を過ごすのは、本当に時間や人生の無駄遣いのような気がします。
できることなら、他人のために、自分のために、何かに熱中して時間を使いたいものです。
休息をとったり、遊んだり、何か楽しいことに没頭したりするのももちろん自分のためです。
そうではない、ただただインターネットの画面にぼんやりと囚われているのは、誰のためにも時間を使っていないことの典型だと思います。

もう一つ、誰のためにも時間を使っていないことで思いつくのは、誰かをただただ非難、攻撃している時間です。
誰しも他人の言葉や行動で傷つき、怒りが頭から離れないというときがあると思います。
離婚、相続の相談を受けていると、相談者がしきりに相手方がどれほどひどい仕打ちをしたかを熱心に話してこられるということはしばしばあります。
もちろん、そのなかには案件を引き受けるうえで大事な事実が含まれていることもありますので、ないがしろにすべきではありません。
相談者が話をする中でいろいろ気付かれる場合もあり、話すことで気持ちが解放されることもあるので、弁護士はある程度は聞き役に回らないといけない部分もあります。
でも、それが堂々巡りになってきたりすると、法律的な観点から話を整理するのと、できれば「そのことはもういいじゃないですか」と気持ちをそこから逸らせてもらうように促します。
私も結構感情的で執拗な部分も持ち合わせているのですが、そうであるからこそ、相手方のひどさをひたすら訴えかけてくる相談者には、そのことに時間を費やすのではなく、
解決策(もちろん相手に対して訴訟をし、勝訴を目指すことも含めて)を探すのがあなたのためですよ、という気持ちで話をリードするようにしています。
他人への怒りで時間を費やすのは、それだけ自分のエネルギーも使うし、知らず知らずのうちに疲弊していきます。自分のためになりません。
どうしても正義を回復するために論戦すべきことはあり、そのために弁護士が存在するといってもいいでしょう。
しかし、それは相手をやっつけるためでなく、被害を防ぐ、回復するなどして紛争に決着をつけることが自分の(自社の)ためになるという確信があるときに限って、必要な時間、エネルギーを費やすべきだと思います
(その確信が持てれば、思いっきりやればいいことですが)。

反省と称して「なんて自分はアホなんだ」と自分のことをただただ非難、攻撃している時間もまた、ただ自分を傷つけ疲弊させるだけなので、時間、エネルギーの無駄遣いとなることが多いでしょう。
それよりは前を向いて、現在、未来のために知恵を絞ることの方が時間を有効活用しているし、直面する壁を乗り越えようともがいているときでさえ、後で振り返れば「あのときは楽しかったな」となると思います。

「誰かのために」というのは「利他の精神」ではないと言いましたが、他者のために時間を使うのはもちろんいいことです。
そして、家族、友人、知人、職場の仲間、クライアント、ともかく誰かのために時間を真剣に思いっきり使えば、その時間はきっと充実してくるでしょう。
ここで真剣にと書きましたが、本当にその人のためになるかどうかを真剣に考えれば、おのずとその目的に最も合致した方法に近づいていくように思います。
つまり、物事の本質により近づくことができ、余計な思考、作業、プロセスが徐々にそぎ落とされてくるように思います。
全く独りよがりの美意識からくる自己満足の作業をしなくてよくなるかもしれません。
単なる自己保身のための言い訳、愚痴、不満、不安もどうでもよくなるかもしれません。
具体的な「誰か」を思い浮かべて、その人のためにと思って瞬間、瞬間の判断を積み重ねて行動すれば、そのプロセスを変に後悔することにはならないでしょうし、結果の良し悪しはあれども、
満足がいくのではないでしょうか。満足がいかなければ、また次に生かせばいいだけのことだと思います。

自分のためであってもいいから、ともかく「誰か」のために時間を使う、そう意識するだけで、自分のエネルギーを振り向ける先を集中させることができるような気がします。
(いつも似たようなことを書いています。私の信条なのかもしれません。理想どおりではありませんが、こんなことを意識しながら頑張って仕事をしています。)

弁護士 嶋津 裕介